近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

農家さんからもらう野菜はどうしてこんなにありがたいのだろうか

昨年の秋、現役農家さんから、沢山の野菜を頂いた。

エリアは色々で、ご縁がある方々からである。

北海道の当麻、下関の川棚温泉丹波の笛路村、南あわじ。トマト、大根、白菜、キャベツ、ジャガイモ・・実に色々なものを頂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前の話だが、今どきは、店に行けば大抵の野菜は手に入る。

しかも、昔と違って季節感もあまりなく、いつでも好きな野菜が買える感覚がある時代だ。

 

にもかかわらず、農家さんからいただく野菜は格段ありがたい。

私も、このブログで再三書いてきたが、実家が農家なので、実家に帰れば、野菜をたくさん持って帰るのが習慣になっている。正直重たい。運ぶのも手間である。でも農家の人から直接受ける野菜の価値は断然違う。

 

美味しいのは当たり前として、そういう次元を超えたありがたみだと思っている。

それこそ、生産者お一人お一人の気持ちがこもっている。値段の問題でもない。実際、見た目だけでもらったものと同じものを買おうとしたら、値段の上がり下がりはあるが、100円で大根一本買える時期もある。

ある意味で、豊作時は農家さんは大変なのだが、生活者にはありがたい。こういう感覚で大半の人が生活しているのが今の日本だ。

一方、ご縁がある農家さんなら特にそうだが、大根1本1000円でも良いと思う。

 

最近、応援消費が流行っている。

いや、正確に言うと、まだこういう活動をしている人は日本では少ない。私の期待値として、これは日本でどんどん広げていきたい。

 

話は変わるが、コロナ禍の影響もあり、国民の貯蓄額が2000兆円超えたとある。未来に備えたい気持ちは分かるが、今の日本の課題解決にまわせないものかと常々思う。

日本の農業は、産業化オンリーで進み過ぎて、袋小路にハマっている。

何のために農業が必要なのか?農業とはそもそも今の経済メカニズムの中で、経済合理性のみを追い求めていけるものなのか?

日本の食料自給率の異常な低さに対して危機感はないのか?

今の日本に欠けているのは、こういう農業とその背景にある農に対しての一般市民の関心の薄さなのである。  

 

私は、約10年前に拙著“アジアで農業ビジネスチャンスを掴め”を上梓した頃、口癖だったことがある。

それはゲームやカラオケに余計な浪費をするのであれば野菜を高く買いましょうと発言してきた。

この拙著自体は、今になってみれば勉強不足の部分も多々あり、近い将来改訂版を出そうと思っているが、こと消費のあり方については、全く考えは変わらない。

 

人間にとって一番重要で、一番難しい産業であり仕事である農業は、全部でないにしても部分的にでも応援消費は必要なのである。

 

私が農家出身でも都会暮らしが長い。そうすると、普通にスーパーなどで幾らでも野菜が買える。正直、安いものを買おうとする。有機コーナーも増えてはきたが、まだまだ、少数だし割高感はある。

もちろん価値があるから当たり前なのであるが、そもそも一般の野菜の価値が低すぎるのである。

 

私は冒頭で書いた体験で、改めて思う。

スーパーで買うからありがたみがなくなる。

ロボットが作る回転ずしのようなものだ(私は良くいくので否定している訳ではない)。

 

たまに、職人が握る寿司の味わいは格別だ。実際に本当に味覚成分に差があるかどうかは分からない。人肌を感じるということだと思う。

 

農家さんから直接野菜を受けとる機会の創出。

自分で野菜を作ることも大切だが、精魂込めて根気よく作っていただいた野菜を農家さんから直接受け取る。

こういう仕組みを作ろうと思っている。

 

以上