近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

越日国交樹立50周年への想いと決意

新年早々だが、来年の2023年は私にとっても当社にとって特別な年になる。

20年以上前から私たちが活動してきたベトナムと日本の国交樹立50周年の年だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとはベトナムは、ビジネス目的で進出したが、今となっては半分以上その目的が変わっている。ここ数年は、心底、ベトナムと日本がもっともっと親密になればよいと強く想ってきた。

 

長年関わって来て第二の故郷という感覚がベースにあるが、何よりもベトナム人の友人たちとの付き合いが財産だ。今の社員はいうまでもなく、色々と訳があって退職していった元社員たちとのつながりも色々とある。

 

長いベトナム活動、現地の経営者や社会を動かすキーパーソンとの密な付き合いの中で、彼らの背負っているミッションや責任をひしひしと感じてきた。

彼らとはビジネス面では衝突は日常だった。お互いの理解不足からくるものや商習慣の違い、時として言葉のコミュニーケーションの齟齬もあった。特に私は通訳に頼ってきたので、そういう部分は弱点だったかもしれない。

一方で言葉は直接通じなくても得難いビジネスパートナーや友人がいるのも事実だ。

 

20年を越える中の出来事やエピソードは簡単には語りつくせないが、常にその時々に全力投球してきて今に至る。

 

この50周年は、国レベルで見てもとても大切な節目になるのは疑う余地はない。それは日本にとってもベトナムにとってもだ。

コロナ禍で双方の国とも試練の最中であり、この時間が、少し前の45周年のことをとても遠い昔のように感じさせる。

 

正確に言えば、2018年のことだからそんな前の話ではない。私達も45周年では、出来るだけの活動はした。特にベトナムの南部の最大都市における越日文化経済交流イベントは、カントー人民委員会とベトナム商工会議所の共催で行った。

我が社が地道に民間主導で進めてきて、それなりにベトナムへの貢献も実りだしたところだった。

 

 

 

日本人の私ではあるが、どうしてもベトナム側から日本を視てきたので、この10年来、日本人の行動の遅さには、ベトナム人と同化してやきもきしてきた。

もちろん日本人なので、日本と日本人のそういう行動の理由は重々分かる。だからこそジレンマであったのは事実だ。どうしても日本人は、相手が望むほどには積極的でないのだ。意思決定に時間がかかるのだ。

ベトナムには興味がないのか?日本人に対するベトナム人の失望感も漂う中、色々と受け止めてきたつもりだ。

 

私もこういう背景を背負って、日本国内、ベトナム国内の経営者セミナーなどで、NOTOの日本を引き合いに、やや自虐的に聞こえるような本音トークを続けてきた。

NATOとは、NoActionTalkingOnlyのことであるが、慎重すぎて保守的すぎて、リスクテイクできなくて、なかなか実行に移さないというニュアンスを揶揄する言い方だ。

 

もちろん、日本側の事情はある。

だが、シンプルに書くと、ベトナムベトナムで目の前のことに必死。国の発展をショートカットで成就したいから。

日本は日本でこれまた目先の事でいっぱいいっぱい。なぜか焦っているし、目先の結果を求められる社会に属しているから。

 

私は客観的に高みの見物ができる立場ではない。両方の調和と共生を考えたときに答えは意外と簡単だ。

両方ともがお互いの未来を共有して前に進む。それは地球温暖化対策であり、食糧危機に備えることであり、グローバルな人材活躍の場を創ることである。

 

まだまだ、他にもが両者が共生して創るべきことは沢山ある。日本とベトナムは、地政学的にもそうだし、歴史上の関係もそうだ。必然の関係にあると言っても過言ではない。

 

目の前のことに関しては、とりわけ経済面では、先進国である日本の方がはるかに余裕はある。

だからこそ、ビジネス面で見れば、日本の経営者がベトナムでどう儲けるかではなく、ベトナム人にどう儲けてもらえるかを先に考えれば、多くのことがスムーズに進むだろう。

 

農業しかり教育しかり衛生しかり、沢山の分野がある。いわゆる信用ビジネスである。

 

再来年はあっという間だと思う。コロナ禍は先行き不透明ではあるが、年明けから2023年の周年に向けての活動を本格化するつもりである。ぜひ、一緒に越日の関係強化を盛り上げていきましょう。

 

以上