近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

立派な事を言う人と立派な事をする人の違い

今のような変革が求められる時代になると、立派な事を言うだけの人は増える。

コロナ禍以降、このことは明らかだ。

 

ただ、これはテレビなどによく登場するにわか評論家の話ではない。

立派な事を言うことが、仮に専門家の領域であるとしたら、いつの時代も存在するし、特に情報過多の中、不安や迷いが市民に蔓延する中では科学的に裏付けされた話しも時としては必要になる。

 

ただ専門家的すぎると理解が及ばす、これまた何をもって信用して良いかを判断するかに迷いが生じる。今の時代は専門家であっても、一般市民に対しての説明する表現力、コミュニケーション力が問われる所以でもある。

 

テレビには立派な事を言う専門家はあまり登場しない。評論家か揚げ足取りかということになる。そして、揚げ足取りは、立派な事を言う人には矛先を向ける。

 

実は、よくよくこういう世界を見ていると、立派な事をする人の揚げ足取りをする人はあまりいない。もちろん、ネットの世界では一部に特異な行動をする人がいるのも事実だ。純粋に頑張っているオリンピック選手を誹謗中傷するような人が典型だろう。

 

これは例外として、立派な事をしている人にはそういう悪意の矛先はあまり向かないと思う。それが最低限の日本人の良識だと思いたい。

 

では、立派な事を言うだけの人は、今の時代に本当に存在価値があるのか?ということである。

江戸時代から明治維新にかけて、吉田松陰が活躍したことはあまりにも有名だ。私も吉田松陰の存在が常に心のよりどころにある。

 

しかし、彼が本当に立派な事をしたと言うのが、どうして分かるのだろうか?

いや、もちろん、きっと立派な事をしたのは疑う余地がないはずと私も思っている。

しかしながら、こういう歴史上の偉人や達人などの考えや功績を引用して、立派な事を言う人は今の日本に沢山いる。そして受け売りの話の中身は大差ない。

 

ご自身が心酔ているからこそ、先人の教えや薫陶を、まわりの人に紹介しているのだろうし、伝えていきたいのだと思う。そういう意味では、今、立派な事を言うだけの人は、現代の伝道師(エバンジェリスト)なのかもしれない。

 

しかしこれも穿って考えると、世の中に伝道師ばかり増えても困る。

今は、戦国時代や江戸時代とは違って、立派な事の事例は自分で様々な方法で探すことは出来るし触れることが出来る。こういう意味でも情報過多の時代に生きているのである。

 

立派な事をする人は必ずしも立派な事を言う人とは限らない。なぜならば、本当に立派な事をしている人は、謙虚で控え目で表に出たがらない。

 

そういう意味では、職業的には経営者と言うのは、一般的には表に出ざるを得ない立場だから、密かに立派な事をするかっこいい人の定義からは外れる。

 

私はこだわりの匠や有機農業にこだわり続けてきた人が好きだ。町医者だけど、このコロナ禍の中でも果敢に人のために活動している人、困っている人を人知れず助けている人。こういう人たちが立派な事をしている人だと思う。

 

メディアそのものが混とんとして迷走している中、立派な事を言う人に振られるのではなく、立派な事をしている人を見つける、出会える人間でありたい。

 

有言実行と言う言葉があるが、これとも少し違う。立派な事を言ったから立派な事をしましょうという意味でもない。

シンプルに立派な事をしているひとに気づける社会になって行けば、快い社会になるように思う。

 

以上