近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

私がなぜ今までITの仕事を辞めなかったのか

あっという間に、世の中をITの話題が再び席巻するようになった。

 

ちょっと大げさに書けば、今、私がお会いしたりお話したりする人で、ITの話題が皆無な人はいない。

まあ、身近で言えば、車か自転車のような存在になったのだろうと思う。

これは必然と捉えていたほうが自然体だ。

コロナ禍があろうがなかろうが、ITは大衆化する流れであったのは間違いない。

 

何らかで意識して伝えない限り、相手の方に、実は私が働き出してからずっとITに関わってきたという事実は伝わらない。

もちろん、そういうことを伝える必要がある相手は限られている。そんな時は学生時代までさかのぼって、如何にITと疎遠だったかも交えてコンパクトに話させていただくこともある。

 

10数年前までは、私も若手ベンチャー経営者として分類されていた時期もあった。その中でもIT系ベンチャー起業家としてのレッテルを貼られたこともある。関西の大学では、起業家として話する機会も結構いただいた。

 

こんな経験も踏まえて、今回は改めて自己紹介を兼ねて、ITと私というテーマで書いてみたいと思う。

まず、このブログのタイトルはどういう意味か?と思われるかもしれないので先に書いておく。

実は、私がITの仕事をしていて良かったと思いだしたのは、わずか数年前。

それ以前は、ITに関する事業の企業経営をする立場でありながら、脱IT宣言をしていた時期もあった。リーマンショク後から数年間だ。そのおかげで見事にITの仕事をしている会社と思われなくなって、新興国ビジネスに特化した会社、特にベトナムビジネスの会社として認識されていた。

 

自分たちがやりたいことと、周囲の認識がずれていた時期だ。今でもその名残はあると思う。

 

だから、この2年ぐらいは、ITではこういう実績があって、こんなシステムも作って、昔はソフトウェアパッケージも販売していまして・・こんな説明を意図的に多くした。

そして、その時に実は私自身がIT業界40年近くになるんですとお伝えする。

今のITブームと相まって、話はどんどん深入りすることが多くなってきた。

 

私は、現場監督を志向してゼネコンに入った。意に反してコンピュータの仕事をすることに。

この辺りは、先日のブログで書いた。

毎日のように、望んでもいないやりたくない仕事はやめようと思っていた。何度も現場に配属してもらえないなら、会社辞めますと部門長に伝え続けた。

 

そうこうしているうちに、入社半年たった頃の部内の社員旅行で、飲み過ぎで骨折した。そして、2か月以上会社を休んだ。開き直った。

3年先輩が、情報処理技術者の国家資格を取れとけしかける。今となってはおかげさまで、その頃のそれなりの資格は幾つかとった。

 

4年目を迎えたころ、IT業界に関心が出来てきた。そして、小さなITエンジニア派遣の会社に転職した。

ここで、中国人やマレーシア人と知り合うわけだが、ITの仕事については、SEもどきの仕事をしていたが、面白みのない仕事とずっとおもっていた。

 

そして、誘われるままに、その当時のIT派遣の大企業系列の会社に転職した。

ITの仕事をしながら常に思っていたことは、もっと創造性のある楽しい仕事がしたい。

業務管理システムや様々なソフトウェア開発はしていたが、あまり面白みは感じなかった。

むしろ、ソフトウェア開発の失敗例を目の当たりにして、IT業界のひどさとレベルの低さに嫌気がさしていた。

 

そして、31歳で独立した。最初はITで食べていこうとは思わなかった。ベビー用品のリサイクルビジネスを始めた。パソコンで会員管理、売買管理のソフトを作った。ビジネスを生み出すためにはITは使えると思ったからだ。

 

そうこうしているうちに、阪神大震災が来た。リサイクルビジネスは断念した。

すでに独立して1年、社員も数名。食べるために一時的にITの仕事にシフトした。

 

時のITブームに乗って、あっという間に社員が100名になった。90%以上が今までいうIT派遣だ。急につまらなくなった。

いまでこそ、良き業界になっていると思うが、その頃は、ITエンジニア派遣の黎明期で、ろくに教育もせず、人を見つけて送り出すと収益になるビジネスに嫌気がさした。

 

方向転換して、ソフトウェアパッケージも開発販売した。日本で最初のSFAもつくとな

そして、中小企業支援に真剣に向き合った。

本を出した。講演も沢山依頼された。

大きな仕事も受託した。

結局気づいたのはITは失敗だらけという事だった。

確かに今ではIT業界が確立されてちゃんとした業界にはなりつつあるが20年前はひどかった。

そんなこともあり、リーマンショック後辺りから脱IT宣言をして、別の事業にシフトしようとした。

今までのことは、今回はこのあたりで終わりにする。

 

そして、再びITブームが到来した。今はDXという方がなじみがでてきたかもしれないが。

正確に書くと私がIT業界にかかってきた約40年で、OAに始まり、ITブームは何度もあった。そしてDX。繰り返しているだけの事であるが、相変わらず一般市民や中小企業は、ITに翻弄され続けている。

 

だからこそ私は今、ITをライフワークにして、健全なIT活用を使う側に立って、IT活用を推進することが私がいままでITを辞めなかった理由だと思っている。

 

以上