近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

既読が分かってしまう時代のコミュニケーションとは

既読スルーという言葉。 

聞いたことがない人は少ないだろう。

 

SNS全盛期の今、自分が送信したメッセージを既読したかどうか、がすぐに分かる機能が当たり前になった。

一言で言ってしまえば、面倒くさい時代になったものだ。

 

気になるかならないかと言うと、私も毎日のように気になっている。

だからと言って。 

IT業界でどっぷり40年もはまっていると、他にもITによるストレスは沢山あると痛感している。そもそも、ITを発明した人類がこの先どうなるかに興味津々なので、自分自身の少々のストレスも実証の一つぐらいにしか思っていない。

 

この既読する一体誰が始めたのだろうか?

 

真実を確かめるには、かなり難問かもしれないし、意外とネットなどで調べたら、あっさり解明するかもしれない。

 

IT業界にいる私が明確に認識している転換期は確かにあった。

それは電子メールだ。

そもそも、電子メールがビジネスで定番のコミュニケーションツールとして使われだしたのが、まだ、20年ちょっとぐらい前の事だ。

今では、使う人はほとんどいないと思うが、メールがある程度、ビジネス社会に行き渡ってきたころ、メールの既読確認機能が追加された。

 

顧客からの要望だったのか、はたまた、開発者の発案なのか。

結論からいうと、メールの既読機能はあまり普及しなかった。いまでは、SNS時代になり、わざわざ、メールの既読機能は使う必要性がほぼなくなったと言える。

 

それ以前を考えてみる。

ビジネスのコミュニケーションと言えば、電話かFAXだ。あるいは、ビジネス文書を郵送するということも多かった。

当然、電話に既読確認と言うのはない。

携帯電話が普及して、留守番電話は便利だが、その録音を聞いたかどうかには大抵の人は関心がない。いつか聞くだろうという感じで、今と比べたらおおらかだった。

 

FAXを送ってもそうだ。届いたことは機械が教えてくれるがそれを相手が、見たかどうかは分からない。それこそ、FAXの返信を待つか、電話で連絡が来るか?気になるならこちらから電話をするということだ。

 

簡単に言うと、自分が相手に送ったメッセージを見てもらったかどうかは、こちらからアクションして確認するのが、一般的な時代だったわけである。

 

では、もっと、極端に江戸時代を考えてみる。

飛脚があったことは、私達は学んで知っている。

こういう時は、相手が読んだかどうかは、シンプルに考えれば、相手から飛脚で手紙か伝言がない限り分からない。

そうすると、江戸時代の コミュニケーションは待つことが前提だったように思う。それこそ、便りがないのは元気な証拠なのだろう。

 

大雑把に書いてみたが、これを現代までの変遷とすると、だんだんと相手とのコミュニケーションに余裕と言うか趣が無くなってきているのが分かる。

 

そもそも、相手が読んだかの機能などいらない。

もちろん、今どきは、解除もできるが、あれもこれもSNSなどを使っているとこれも面倒くさい。もちろん、ビジネスで返事がないのは困る。

困るだけでなく、相手の力量や本気度を測るバロメータでもあるのが、円滑なコミュニケーションだ。

 

だが、私的な利用と相まって、人間一人として見た場合、どうも乱立するITと余計な機能に振り回されているだけとも言える。

 

既読を気にしないでいれるコミュニケーションの社会を創らないと、人間がダメになると思う。

 

その第一歩は、メッセージを受け取ってしまったら、できるだけ、何かの返事は返すようにしたい。その時に、絵文字、スタンプは役に立つような気がする。グーでも充分だ。

 

以上