近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

努力は報われるのかをどう考えるか

努力について考えてみたい。

人生で、まったく努力していない人はいないと思う。当然ながら、努力には程度差がある。

 

改めて、努力をウィキペディアで調べてみた。

 

努力とは、目標を実現するために心や身体を使ってつとめること。

 

あまりにも有名な言葉であるが、あのトーマス・エジソンは、“天才とは1%の直感と、99%の努力である”と述べた。

 

私も、子供の頃から何度聞いたことか。

子供心に思ったものだ。天才という言葉の意味も分からず解釈していたことも背景にはあるが、生まれつきでなく誰でも努力すれば、良いことがあるもんだ。こんな解釈をしていたように思う。

 

これは、私だけではないはずだ。こういう言葉は、人生の羅針盤としてもとても意味がある。

 

ついでに、色々とネットで調べてみた。

努力に勝る才能無し。

これもエジソンの言葉に近いものだと思う。

これはウサギと亀の話にも似ている。努力していれば、天才を上回ることが出来る。

 

これはプロスポーツの世界でもよく使われる。

それなりに活躍したスター選手が超一流に届かなかった時に、使われることが多い。

才能はピカイチだけど、努力がね・・・。メディアの格好のネタになる。

 

正直このクラスになると、努力していない人はいないと思うが、究極の努力を継続的にした人が、超一流になっているのは明白だ。今話題のメジャーリーガーの大谷選手を見ていてもそう思う。そもそもスーパーなメジャーリーガーから見ても、二刀流の準備をすることが超越していると感じているコメントが沢山ある。

 

そういうコメントからも大谷選手のしていることのレベルが推論される。

 

努力は裏切らない。についてはどうだろうか?

かなり、賛否出てくるのではないだろうか?

私の今日のタイトル、努力は報われるのかどうかは、努力は裏切らないのかと近い。

 

子供の教育の現場での、教え方、接し方でも重要なポイントだ。大学受験にチャレンジする高校生にも重い言葉だ。

学校の先生は、ひたすら合格者を増やすために努力をすることにはっぱをかける。そういう親もいるだろう。塾の先生もそうだろう。

 

しかし、結果は明白で、受験は競争だ。競争率の中で合否が決まる。確かに努力した人は合格する確率が高い。だが、努力しなくても合格する人も少数だがいる。誰よりも努力して勉強しても落ちることもある。また、受験当日に失敗することもある。

 

そもそも、志望校の選択の間違いもある。

もっと言いだしたら、良い大学に行くことが何かということにもなる。

 

そういう経験を踏まえて社会人になったとする。

受験に失敗した人、成功した人。単純に分けるとそうだが、それで大人になってからの働く場での結果に影響した話はほとんど存在しない。

 

努力は報われるかどうかというのは、実はとても曖昧である。

それはそもそも人生を成功か失敗かという二者択一で考えると、おかしな方向に行く。

良い言い方をすれば、人生を楽しむ、充実した人生を送る、幸せに暮らす。こういうことを大抵の人は望むだろう。年齢を重ねていくと、生きることそのものを探求し、命と向き合う人が増える。

 

もちろん、人間は生きている間の何かのために努力するのが自然だが、人によっては、自分がいなくなってからのことも視野に入れて、努力しているように思える大先輩もいる。

 

実に、努力によって得られる、達成できることは多様なのである。当然、目の前のこと、先のことでもある。

 

だから、受験などは、目の前のこと。仮に努力して失敗しようが大したマイナスではない。

努力で一番大事なのは、努力するのが大変です。ということを繰り返すのではなく、努力を習慣化してしまうこと。

 

私が思うに、それは出来るだけ若いときに見つけたい。大人になる前が理想だ。そういう意味では、努力が向かわれるかどうかではなく、スポーツでも音楽でも受験でも、なんでも良いから努力する習慣を身に付ける。そして、最初は大変でも楽しく努力できるやり方を身に付ける。もちろん、それは一朝一夕に身につくものではない。だからこそ、教える側は努力したら成功するとか、努力したら良い結果が出る。という教育や指導は、違和感がある。

人生を楽しむためには、努力そのものを楽しむことが出来るとかどうかではないだろうか?

 

以上