近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

今の日本の課題は仕事で創造性を如何に発揮するか?

創造性とは何かを説明して欲しい。

仮に、これから社会人になる学生に聞かれたら、自分は何と答えるだろうか?

最近そんなことをふとした時に、思った。

 

今、日本の働く世界では、創造力を高めよう、創造性のある仕事をしよう、会社全体の創造力を向上して、強くして、企業革新につなげよう。

こんな課題というか話題というか、なにかと創造性についての議論が目立つようになってきた。

 

関連省庁が出す、これからの人材育成や教育に関する改革案でも頻繁に登場する。

また、起業家の資質としては、私が起業した30年以上前から、創造性は必須の要素だった。

創造性を横文字にすると、クリエイティブがもっとも近いと思うし、実際私も、日常で使うことも多い。

 

さて、冒頭の質問に対して、準備無しで返答するとすれば・・・。

その都度、言い方は変わるとは思うが。

“常識やすでにあるものに囚われることなく、自由に柔軟に、世の中に役立ちそうなアイデアやしくみを考えること”

こんな風に答えるかもしれない。

(実際に、このブログを書きながら、思いついたことではある)

 

ここから先は、創造性がなぜ必要なのか?ということを考えてみたいと思う。

どうも日本というのは、日本以外の先進国と比べたがる。

国の政策などに登場する創造性を高めようとする支援策などは、海外の先進事例と比べて、日本は創造性に劣るという評価が前提のようだ。

 

まさか、GAFAMなどと比べて、日本の企業が、創造性に劣ると考えているとしたら、とんでもない勘違いだろう。

GAFAMに創造性がないとは言わないが、これらは全て、ITという最先端の科学技術を駆使したプラットフォーマーだ。こういうところの創造性の議論では、本質を間違えているとしか言いようがない。

 

話は変わるが、戦後の経済成長を支えたもっとも重要な存在は、中小企業だったと考える。この時代は起業家という呼び方もしなかっただろう。では、この時代に創業した人たちに、創造性が高い人が多かったのか?

 

答えは、明白だ。

しかし、これは変な話で、日本が仮に戦後の高度経済成長の過程で大躍進を遂げたというのは、創造性だけが原動力ではない。

創造性で表現するようなスマートさではなく心底必死だったのだ。ハングリー精神や挑戦心のかたまりだったと思う。そういう経営環境があったということだ。

 

このことは、何度もブログにも書いてきたが、新興国を見ればわかる。産業が未成熟で、生活も先進国に比べて、貧困で不衛生である。ここには、昔の日本のように創業を志す人は沢山いる。そういう人たちが、世の中を変えていく。結果的に、創造性を発揮したということになる。

 

私の結論ではないが、創造性というのは学ぶものではない。チャレンジして幾多の障害を乗り越える体験することである。もっと言えば、自分の人生をかけた本気の体験が源になる。

 

だから、今の日本の環境で、学びとしての創造性の会得は、所詮、日本の今でしか通用しない。世界で伍すことはとても困難だとおもう。

 

では、出来上がった成熟した日本でどういう創造性を体験する場があるか?

それは、世界の中でも有数の自然環境を生かすことだと思う。日本の役割としても、日本人は、自然環境とともに生活体験、社会貢献、仕事体験をすることで、日本独自の創造性が発揮できるのではと思っている。

感覚的には正しいと思っているが、これから自ら実証して確かめていこうと考えている。

 

以上