近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

ゴミ情報の価値を改めて考えてみる

 

 

目利きという言葉がある。

商売にしても、生活でも、何らかで情報に精通している人の情報はありがたい。

 

私が子供の頃であれば、田舎のおばあちゃんの知恵であり、商売にしても商店街の八百屋や魚屋のおっちゃんのお勧めはありがたい。

人それぞれに、身近に親切に目利きしてくれる人がいることはありがたい。

 

今は、情報過多の時代であることについては、私のブログでも再三書いてきたが、今回はゴミ情報について考えてみる。

 

一般的に、私たちはゴミといえば、不要なもの、役に立たないもの、捨てるものという認識がある。ただ、これも誰にとってかで大分意味や価値が違う。

 

例えば、平均的な日本人にとって、不要な商品でも、新興国の人にとっては宝の山ということはざらにある。日本国内に限っても、モノ余りの時代、使えるものが沢山あるのに、ゴミとして処理されることも多い。

 

食品残渣もそうだ。ゴミといえばゴミだが、まだ、食べられるものも沢山ある。なんともったいないことか。

こういう風に考えてみると、ゴミも誰にとってかの判断基準に寄って大分価値が違う。

 

では、情報に置き換えて、このゴミを考えてみよう。

フェイクニュースや虚偽の情報は、ゴミの情報と言うよりも害として扱いたいところだ。しかし、なかなか健全な情報と区別がつかないところが、情報の特徴である。

こういう情報は、ゴミというよりも接するのを避けたいと情報と定義するのが妥当だと考える。

では、モノのゴミと同じように、情報にもゴミがあるのだろうか?

 

モノのゴミは、誰にとってもゴミであれば、しかるべき処置をして正しく廃棄するのが今は健全である。しかし、使えるうちは使っていこうという循環の流れも最近は、トレンドにもなってきた。

地球環境のことを考えると、これは望ましい変化である。

 

これを良い方向に加速するためには、仮に自分にとってゴミと思えても、誰かには価値があることを知るだけでも進歩かもしれない。

情報のゴミを考える時に、まずは、この反対の視点から考えてみる。

 

自分にとって、情報のゴミに遭遇しないようにしたいと誰しも思う。

その人間の欲求に沿って、SNSやECはリコメンド機能を充実させている。

 

私も、本にしても何を買うにしても、結構な確率でリコメンドされたものを買っていると思う。そもそも、今どきのSNSなどは、個人データの動向に基づいて、アルゴリズムやAIで広告が表示される。

日々、私たちの周りでは、自分の過去の行動によって、自分が縛られていく訳である。

一度こういう環境にどっぷりはまってしまったら、人間は一体どうなるだろうか。

 

フィルターバブルという言葉もある。

要するに、ITなどで自動的に目利きされた情報に取り囲まれていく状態だ。

 

 

話は変わるが、新興国に行くと真っ先に、日本人のほとんどが気になるのが、衛生面だ。日本の数十年前のような衛生環境の場所はざらにある。

当然、日本国内の今の衛生基準に慣れていると、新興国のそれは受け入れがたい。

 

しかし、冷静に考えてみると、今の日本は、衛生的すぎる世界だ。

人間の持っている本来の抵抗力、免疫力も低下しているのは間違いない。

 

これと同じようなことが、情報にも言える。

自分にとって都合の良い情報ばかりに囲まれると、情報の選別力、見極め力が低下する。

 

そもそもゴミ情報かどうかを選別するスキルも低下して、リコメンドや目利きをしてくるるITが充実していない環境では、安心して暮らせなくなる。

免疫力や情報の選別力をつけるために、人間にはやはりゴミ情報に触れる機会は必要と言えよう。

 

以上