近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

社会の目からデータの目へ変わる期待感

人の目や社会の目が気にならない人は、いるだろうか?

 

自分は他人からどう見られているだろうかと、沢山の人が気にして悩んでいる。特に思春期はそうだと思う。一方、70歳を超えて明るく元気な人は、そういう悩みを微塵も感じないような達観した雰囲気がある。

年齢がそうさせるのか?長い人生経験の中で会得した何かがあるのだろうか。

 

そういう私は、世間の目や人の目は、気にしないのではなく、どうして気になるのか?ということに向き合いながら、折り合いの付け方を考えてきたタイプだ。

 

人の目と言えば、自分に好意的かそうでないかは、今でも気になる。ただ何となく人に嫌われたくないという意識が強かった10代の頃とは違う。そして、その頃は言いたいことも言わずに何となく穏やかにまろやかに過ごしていた。

 

学生時代に友人との衝突がきっかけで、私は、超はっきりいうタイプに変わった。少なくとも周りからはそうみられるようになったと思う。

 

それは私が言動を変えたからだ。いわゆるストレートに言葉に表すようになった。今振り返ると、本質的には変わっていないのに、表面だけ変えようとしていた20代だったと思う。

 

今どうかと言うと、わさわざ、馬の合わない人とは無理して付き合う気がないし、そもそも、個人的な好き嫌いを気にする歳でもなくなった。

 

自分がどう見られたいかを気にするよりも、自分はこういう人間です。こういうことを考えて行動しています。ということを表現することに集中している。間違いなく、私を嫌いな人も沢山いるだろうと感じながら、好きにやっている。

 

人の目と近い意味合いにもとれるが、もっと大きな意味を持つ世間の目や社会の目がある。

 

子供の頃に田舎で母親におてんとうさんが見ている。と教えられたあれだ。

要するに、人が見ていても見ていなくてもおてんとうさんは、全部お見通しだから、悪いことはしたらダメですよ。という教えだ。

 

こういう言われてみたら、若い頃は親の教えを無視して生きていた時期もあった。確かに、誰かがいたり見ていたら、しないことでも、誰もいない場所ならする。こんな経験は私にもある。

 

今でこそ、環境問題の解決や自然保護の活動に少しでも貢献しようと本気度は高いので、流石にジュースの空き缶をポイ捨てはしないが、昔であれば、これぐらいいいやと言う気持ちで、人が見ていなければ、捨てていたことはある。今となっては、本当に大きな反省ではあるが。

 

今でも世の中には、人が見ていようがいまいが、正しい行動を出来る人も沢山いる。

一方で、今は、見えないことを悪用して、ずるいことをし放題の世の中でもある。

 

ビジネスも不健全なものは沢山あるし、子供のいじめの問題もエスカレートしている。地球の環境問題にしても、遠い遠い貧しい国のことはなかなか分からない。

 

子供の頃の躾で身についたおてんとうさまの教えだけで頑張っても、もはや私たちの健全な活動や生活は維持できないぐらい、不健全で不公平が蔓延している。

 

人の目、世間の目を全部合わせて社会の目だとすると、今後ますます社会の目が効かなくなる方向に向かっている。したい放題の時代とも言える。

それをITが助長している部分もある。

 

IT活用が地球全体で進む。ITというのは言い換えればデジダル化であり、これは記録が残るということである。記録は改ざんされるリスクはついて回るが、ボリュームが膨大であれば、改ざんは困難だ。

 

常に、私たちが活動した記録が残る。つまり、行った結果が記録されていく。嘘やごまかしはできないということである。

 

 

 

 

昔のように皆が世間の目を気にしている中で、平和な社会が成立していた時代に戻るのは難しい。

 

これからは、記録されたデータの目も取り入れて、社会の見える化が促進し、人間が安心して暮らせる社会を目指すのが今は最適解だと思う。

 

以上