近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

現代人の最大の悩みは時間の使い方かも

いつからだろうか、時間のことを毎日気にするようになったのは。

私は、少なくとも学生時代、時間は無限にあるように感じていたし、時間に追われて何かすることはあまりなかった。のんびりタイプだった。

 

社会人になってからも、数年間は学生時代の延長だったので、残業をほとんどしなかった。それだけ期待されていなかったというのもあるだろうし、仕事にそれほど真剣に取り組んでいなかったとも思う。

生活するための給与をもらうため働くというぐらいの意識しかなかった。こういう頃を振り替えると、常に時間は自由になるとしか考えていなかった。

 

それが一転、31歳で創業してからの数年間は、とにかく必死だった。始めてしまった会社経営を何とか軌道に乗せるためだった。いわゆる、がむしゃらに目の前の事だけに取り組んだ時期である。時間がなかったのでは無く時間を忘れていた。

 

30代は野球もゴルフも全くしなかった。

30代後半から健康のために水泳を始めたぐらいで、寝ても覚めても仕事をしていた。

 

そして40代はほとんどをベトナムで過ごした。だから日本での時間感覚が空白期間だ。

ベトナムでの時間と言うのは、日本とは全く異次元であった。交通機関が充実している訳でもなく、日本のように高速道路も当時は一つもない。

 

先進国の日本に住んでいながら、ベトナムでいる時は、まるで子供の頃の時間間隔に戻ったように社会全体はのんびりしていた。

 

 

 

 

時間をきっちりしようという行動の実現は至難の業だった。交通渋滞は当たり前、そもそも、時間を守るという習慣がほとんどない国で、日本的な行動はストレスも溜まった。

 

こういう時に、日本に戻ると、まるで別世界のように感じてしまうのである。よく日本人の印象として世界から言われているが、本当にせかせかして時間に追われているように感じるのである。

外国人の気持ちが少しわかるようになった。

 

今の私が時間に対してどう思っているかだが。

やりたいことが山のようにある中で、どれに時間を割くか。この選択の毎日である。

 

今は仕事だけのことを考えているのではない。趣味と言うか新しい分野にもチャレンジしたい。音楽であったり書道であったり絵画であったり。これだけでも時間が足らない。今は、コロナ禍で日本にずっといても、時間が余ってきたわけではない。

 

こういう機会に少し客観的に考えてみると、少なくとも海外にいっていた間は、日本でしていた事は全部ストップしていた訳で、結局は選択の問題であると改めて認識できる。

 

少なくともいえることは、どんな人にとっても時間は平等で1日24時間である。しかし、毎日、8時間寝る人もいれば4時間で良い人もいる。

 

通勤時間にしてもそうだ。自分が住んでいる家と会社との関係で通勤時間に費やす時間が決まる。常に時間は人それぞれで使い方が違うのである。ということは、誰かと比べるのではなく、1日24時間を基本単位で考えると、自分がどう使うは自分で組み立てるしかないのである。

 

今の歳になって思うのは、時間は無限にあるのではない。そして、少なくとも人間は終わりが来る。だが、大抵の人にはその終わりは分からない。

 

だから、残りの人生で何かやろうと考えることも大事だが、だからと言って時間に追われるのはナンセンスのような気がする。

 

そう考えたら、やはり、分かり易いのは1日24時間をどう使うか。そこを基本に、数日間どうするか、1週間どうするか、1か月どうするか。せいぜいその単位で、時間を有意義に使うことを考えてみるのが良いような気がする。

 

そもそも、時間と言うのは、曖昧であるかゆえに、時間に追われいような気持ちの持ち方が何よりも大切なのかもしれない。

 

以上