近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

私にとってのベトナムは故郷を想うようなもの

すでにベトナムは1年を越えて行っていない。

 

一方で、毎月、ベトナム人とオンラインでMTGや対談などを行っている。

つくづく、便利な時代だと思う。

去年の3月のビジネスパートナー達との食事会や面会がとても懐かしく思える。

 

なぜ、その国で活動するか?と聞かれれば、好きだから、気にいっているから。

友人の社長達も、こういう答えが大半だと思う。

 

雰囲気が好き、環境が好き、食べ物が好き、人が好き。あとは日本の昔の哀愁が感じられるからという人も多い。

 

 

 

私の場合はどうかと言うと、それは友人だ。

この20年で付き合ってきたベトナムたちとの付き合いが、なんとも懐かしく思えている。特に、この1年以上会えなくなっているので、やっぱり直接会いたいよね。という感情だ。

 

私が会社を起こしてから約30年近くが経過したが、三分の二を超えた期間をベトナムに関わってきたことになる。この先あと何年経営者として現役でいるかは分からないにしても、流石に、他の国でこれだけの時間を新たに費やすことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

この1年は、改めてベトナムとの関りを振り返ることが多くなった。私の人生にとってのベトナムと言っても過言ではない。

 

ベトナムでなにか経済的価値を大きく生み出してきたかというと、それはまだ達成できていない。

もちろん、これからの可能性は沢山あるとは思っているが、縁があって活動してきたベトナムでの意味と価値は何だったのかを考えることも多い。

 

やはり、最大の財産は人であり、ベトナム人との友人たちとの付き合いである。私の仕事柄、経営者が多いが、だいだい馬が合うのはたたき上げの人である。起業家というのはそもそもそうだが、やはり、日本で起業するのとは訳が違う。

 

日本でも起業はチャレンジングな仕事の一つであるが、ベトナムの20年前は、社会全体が発展途上で、企業限らず何をするにしてもチャレンジングだった。

 

だから、ベトナムの起業には大きなチャンスがあったとはいえ、リスクも半端ではなかった。ハイリスクハイリターンの世界だ。

そういう世界を友人の活動や栄枯盛衰の様を通じて近くで体験すると、日本の昔もこうだったのかと思い出させてくれる。

 

そういう意味では、私は日本の昔をベトナムで体験出来てきたという風にも考えられる。

これを何らかで活かしていけるのではないかと試行している途上である。

 

もう一つも、ベナトムの活動で得た財産は、時間である。20年以上に渡って、ベトナムの社会や経済の変遷を直に肌で感じてきた。リーマンショックベトナムでのバブル崩壊も。

 

今の不自由な状況がとれだけ続くかは今時点でも予想しにくいが、近い将来、以前とは違ったベトナムとの付き合いが始まることを確信している。

 

その根拠は何かというと、ベトナムと日本のお互いにとって、この会えない時間がとても良い方向に展開するのではと思う。

 

日本人は、良い意味では、ベトナム人からとても好かれている。

一方で、中国や韓国などのアジア諸国に比べてもアクションが遅かった。即決即断ができなかった。だからベトナム側には不満もあった。

 

しかし、こういう期間が1年以上続くと、スピードが必ずしも絶対でないことに改めて、気づく。これは、日本人もベトナム人もお互い様である。

 

急がば回れである。日本人も変わらないといけないこともあるが、やはり、必要な時間はしっかりと確保して、性急ではなく適度のころ合いで、ベトナムと日本の新たな信頼関係の構築が始まる期待にワクワクしている。

 

以上