近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

広告を一切やめてしまったらビジネスはどうなるだろうか?

子供の頃、CMが広告だとは知らなかった。

いつの頃だろうか?広告の仕組みを知ったのは。

 

民放ではスポンサーがいて、色々な番組が作られる。そして、その番組の合間にCMを流す。当然テレビ全盛期には、大衆にとっての最大のマスメディアだったわけで、テレビCMで見たものを頼りに商品を買う。

 

こういう一連の企業が商品を売るための活動をマーケティングと呼ぶが、専門的な領域も奥が深く、方法論や事例は沢山ある。

 

少なくともCMの目的と役割は学校では習っていないと思う。きっとどこかで知ったのだと思うが、何歳の頃かは忘れた。ただ、いまだに記憶にあるが、スポンサーの役割を知った時に、妙に好奇心が湧いたし驚きでもあった。

 

確かに考えてみたら、民放は視聴料を支払っている訳ではない。どうやって、ビジネスとして成り立っているのかといえば、CMという広告費だと考えれば、とても分かり易い。

 

今の子供たちにとっては私の子供の頃と違って、メディアは複雑になったし多様である。

今の子供たちは知っているのだろうか?

テレビCMのことを。

もっと気になるのが、インターネットやSNSの世界がどのようなビジネスになっているかということを、知らない子が沢山いるのではないかということだ。

 

なぜなら、大人でもテレビCMの目的は知っていても、ネットやSNSのビジネスモデルを知らない人も多い。

 

もしかしたら、人間がこの手のビジネスで考え出すビジネスのモデルは限られているのではと思う。一つが広告媒体としてのしくみで、主な収入源は広告料である。もう一つが、新聞やNHKと同じで、主たるものは購読料か視聴料である。新聞の場合は、一部、広告料もとるが、購読料収入に比べたら桁が全く違う。

NHKは国営に近いので広告はとらない。だから、視聴料を徴収する。

 

単純に考えると、広告は恣意的になる。

これは企業の広告目的を考えたら単純明快だ。基本的には自社の商品やサービスを買ってもらいたいから広告する。たまに、企業イメージだけをCMで流すケースもあるが、これであっても、基本的にはブランディングの一環で、結局は自社商品やサービスの販促目的といえる。

 

こういう話を言い出したら、キリがないぐらい、私たちの周りは広告だらけである。

 

駅のホーム、電車のつり広告、街中のネオン、そもそも街を歩けば、飲食店の案内や色々な店の看板だらけである。最近は、デジタルサイネージという電子広告も当たり前になって来た。また、タクシーに乗っても、座席の後ろにデジタルサイネージが増えてきた。マンションのエレベーターでもそうだ。

 

顧客の獲得競争が激しくなってきた中では、特に、安売りセールスの広告も目立つ。

これだけ広告に囲まれている私たちは、明らかに広告過多の社会にいると思う。

今さらながら、テレビのオロナミンCの広告が懐かしい。その広告自体にも希少価値というかコンテンツの価値もあった。

 

私が時々思うことがある。

世の中から広告を一切なくしてしまったら、社会やビジネスはどうなるだろうか?

考え出したら奥が深い話であるが、思いつくことを幾つか書く。

 

まずは、商売の総量が減るのは間違いない。当然、GDPが減るだろう。逆にいうと、別になくても良いものでもCMの影響で衝動買いや余計なもの買いが発生している。余計なものを買わせることに長けたとして意味があるのか?

 

特に日本のような先進国では良いものが溢れているので、使わずとも買うことだけが楽しみになってしまっている。そして、中古に回すか使わないまま捨てるか。統計データなどは存在しないと思うが、GDPが10%ぐらいは軽く減るだろうと思う。

 

流石に、街角の店の看板まで無くすことはあり得ないが、広告がなくなれば、私達生活者は欲しい商品やサービスをどうやって探すかだ。

 

コンビニであれば、今どきは何でもあるが、特殊なものであれば、やはり、店の存在を知る必要がある。ただ、それはネットを上手に使うことがきればCMに頼る必要もない。

 

あとは、CMがなくなった世界で、資本主義の原則である企業同士の健全な競争による商品やサービスの質の向上にどう影響するかも考える必要がある。

 

色々と考察しないといけないことも多いが、少なくとも中小企業には有利だ。大企業のような広告予算などは使いようがない。

こう考えてみると、意外と健全な社会ができるように思う。

 

今、メジャーなSNSやネットのプラットフォーマーがやり玉に挙がっている。巧妙な広告モデルともいえるがITだけになかなか分かりにくい。

しばらくは、規制する側とビジネスのプレイヤーの間でいたちごっこが続くだろう。

 

また、環境にやさしい消費ということで、今、エシカル消費がブームである。

こういう動きが一気に世の中の常識になってほしいが、なかなか難しい。

しかし、手がかりはある。

生活者が広告に頼らない生活を選択すること。必要なものだけ買って使う。

そして、企業はその選択を生活者一人一人が的確にできるように、正しい情報を発信することが責務になる。

 

それは、広告としてではなく、社会的責任を果たす立場として、見える化することによる健全な有益な情報を発信することである。

健全な情報を主体とした新しいビジネスのモデルが必要な時代だと痛感している。

 

 

 

以上