近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

ブレインワークスの野球部とは何だったのか

“光陰矢の如し”というと大袈裟だろうか?

会社経営を28年もしていると、色々とあったことを思い出すのも大変だ。

 

人様の社史や経営者の自叙伝をおつくりする仕事もしているが、我の事で考えたら、十分、エピソード満載の社史ができそうである。

30年越えたら、考えてみようかと思う今日この頃である。

 

実は、わが社には野球部があった。

野球部とだけ書くと、本格的な野球部とも考えられるし、福利厚生のクラブ活動の一環とも考えられると思う。

わが社に野球部が誕生したのは、私が40歳ぐらいで、比較的若い男性社員がそれなりにいた時だ。野球経験者も数名いたので、言い出しっぺの私が、色々とユニフォームなどもデザインして野球部はスタートした。

 

 

実は私は、社会人最初のゼネコンで、野球部を再建したことがある。社員の高齢化で野球をする人が減ってきて、解散寸前までなっていた野球部を再建しないかという話を上司から頂いた。多分、私が野球好きなのを知っての話だったと思う。

 

ただ申し訳ないことをした。再建したのはいいが、私はその2年後に退職した。流石に、野球のために、会社に残るわけにはいかなかった。

その時は、草野球のリーグのAからDまでクラスがあり、当初はDからスタートでCクラスにはなってBクラスを目指すかどうかの時期だった・・・。

 

 

 

そんなこともあり、自分が創立した会社に野球部は作ってみたかった。

創業時は、その日暮らしで、仕事ばかりの日々だった。ゴルフも約10年全くしなかった。約10年ぐらいして少しは落ち着いたところで、野球部を始めた。

 

今でも記憶にあるが、神宮球場の横の草野球の運動公園で、炎天下約6時間ぐらい練習と試合をしたこともある。知り合いの会社と好んで対戦した。大抵ボロ負けだった。

本格的に野球部になったらいいな。という気持ちもあり、しばらくは結構はまっていたが、私がゴルフに熱中する中で、活動休止になった。

 

会社の経営者というのは勝手なもので、社長がゴルフをする会社は、結構社員がゴルフをするようになる。知り合いの会社でもそうだ。社長がゴルフをしない会社で、会社としてのゴルフコンペなどは聞いたこともない。

 

野球部の活動が休止したのは、ゴルフだけの理由ではなく、私がベトナムに大半の時間いるようになって、日本での活動時間が極端に減ったことも大きい。

 

そんな訳で、私は、会社でのクラブ活動的なことは好きだ。

最近、野球を復活しようと密かに考えていて、昔のユニフォームを引っ張り出してきた。ゴルフに比べたら野球は激しいスポーツだ。ただ、知り合いで私より年上の社長はサッカーをしている。サッカーに比べたらと思いながら、再開を迷っている。

 

世間でよくいわれる会社の福利厚生という制度がある。年功序列終身雇用制では当たり前だった。私が最初は入った会社には組合があり、それが主体で、頻繁にレクリエーションもしていた。潮干狩り、ハイキング、アスレチツクス。私も幾つか幹事を拝命した。運動会も毎年あった。

 

部署にも社員旅行、それとあわせてテニスや卓球もした。こういうことが日本には当たり前だった。一方、今の新興企業でも同じようなことはしている。

 

私が長年関わっているベトナムでは、社員旅行やバトミントン、卓球大会などもしていた。それぞれの時代や環境に合わせて、社員と何か仕事以外のことをする。それは結構大切なことであると最近改めて気づく。

 

昔の社員旅行やレクリエーションとはまた違う形。日本にもこんな時代がやってくるように気がする。それは、ワーケーションしかりテレワークしかり。直接触れ合う、関わるのは仕事以外の時間だと思うし、そういう取り組みが増えてくるのではと思っている。

 

仕事や会社という括りではなく、せっかく人生で知り合った縁がある人達と様々考えて、大きな心で豊かな働き方、生活の仕方の時代を創りたいと思っている。

 

以上