近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

天気予報が当たり過ぎる時代の私たちの変化

天気予報が正確過ぎる。

いつから、こんなに精度が高くなったのだろうか?

先月のゴールデンウィーク前、仕事のスケジュール調整を知人の社長としていた時のこと。5月5日は雨だから・・ゴルフはしないと思う。という何気ない会話が気になって5月5日を待った。本当に雨だった。

 

今は梅雨だが毎日雨が降っても不思議ではない。

だから、この時期は天気予報もあまり気にしない。たまに晴れそうな日があると、それはラッキーと思っている。

 

実は、私は知人とのゴールデンウィークの天気の会話のあとすぐに天気予報をチェックしてみた。すると、5月5日と他の1日が雨で他は快晴の予報だった。

 

天気予報の精度が上がりだしたのはもう20年以上前だったと思う。確か、ウェザーニュースという新興企業が、登場して気象庁の天気予報だけに頼らなくてよいようになってきた。

 

おそらく今は、天気予報の精度は相当なレベルまで進化しているし、これからも進化し続けるのではないかと思う。これもITやテクノロジーの進化があればこそ、できていることである。

 

今は、大抵の国民がスマホを持っていて、その時の天気を各地点からライブで集めて、天気を予測する仕組みもある。また、私が今、神戸で東京の天気を知りたければ、誰かのSNSの投稿をみれば、それなりに分かるし、友人とメッセージで確認するのが早かったりする。

 

 

こんな風に考えていくと、テクノロジーの発展と人間の互恵関係の行いで、海外でもどこでも今の天気を知ることができる時代である。

 

昔、小学校で天気予報の読み方を習った記憶がある。高気圧や低気圧を表現するあれである。

それ以来、私は新聞に載っている天気予報図を見るのを日課にしていた時期もある。

それだけに今の天気予報の進化には驚くものがある。

 

こんな時代に生きている私としては、未来の天気が完全に予想される、把握できるようになったとき、人間の生活はどう変化するのかを考えみたくなる。

 

日本は自然豊かで独特の四季折々の環境に恵まれた国である。だからこそ、情緒豊かで、古来から様々な文化や伝統を生み出してきた。

 

季節や天候を表現する漢字の多さには驚く。英語には翻訳しようがないぐらいデリケートな表現も多い。もちろん、私もまだ知らない表現や漢字も山のようにある。

思わぬ天気の移り変わり、突然の雨、梅雨時の想定外の太陽の日差し、こんな体験も結構楽しめたりする。天気は予想できないからこそ、昔の方が趣や情緒があったのではないだろうか。

 

20年ほど前は、朝のTV番組の天気予報を頼りに傘を持っていき、予想に反して快晴になったことが何度もある。そして、手にしている傘の扱いに困り、挙げ句にどこかに置き忘れ。こういうトラブルは誰しも避けたいことだと思う。

 今は、精度の高い天気予報のおかげで、こんなことは減ってきた。

 

また、逆のパターンもある。出先で突然の雨に遭遇すると気分の良いものではない。びしょ濡れにもなる。

快晴を当て込んで、山盛りの洗濯物をベランダに干してきた人には目も当てられない。後悔が募る。こんな時ほど、精度の良い天気予報がありがたいことはない。

 

しかし、こういう便利ばかりを追求して、大事なものを失っていないだろか。

 

私は新興国に行くことも多かった。

当然、今の日本のような精度の天気予報は存在しない。感覚的には30年から40年前の日本の天気予報だ。まして、東南アジアはスコールがある。私も何度か痛い目にもあっている。だから、常時、折り畳み傘をもって海外では動く。これはこれで、ちょっとした工夫だと思う。

 

天気予報も最先端テクノロジーの恩恵で、精度は上がり続けるだろう。

しかし、それは先進国の日本国内だから通用することである。

全自動洗濯機の話と同じで、電気や水道が使えなくなるような大規模の災害時には、手洗いでの洗濯が必要な時もある。

 

こういう時代にどういう生活をするかの選択は結局は自分次第。

その日暮らしではないが、天気予報を見ずに、生活をしてみたら、今の日本でもあらたな発見や気づきが生まれるような気がする。

ただやっぱり、私の場合は、ゴルフだけは、天気予報の精度が高くあってほしい。

 

以上