近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

国境を超えるネットの役割とこれからの課題

ネットのつながりや力が世界を変えられるのか?

私は仕事柄でもあるが、個人的にもとても興味がある。

 

ここでは私はネットという言葉をインターネットだけのことではなく、この通信インフラに乗っかって動くSNSや様々なアプリケーションソフトのことを総称して使っている。

 

また、インターネットメディアやSNSメディアのような言い方もあると思うが、新種のメディアも含んでネットと表現することにする。

 

このネットは進化し続けているし、世界中にどんどん浸透している。今時点で、どこの国の誰とつながる可能性があるかを正確に把握することは難しい。

 

例えば、私はアフリカのルワンダ現地法人があり、その社員と随時に仕事の打合せをしている。ルワンダもコロナ禍でのロックダウンがあると、社員も在宅勤務になる。

 

慣れてくると当たり前のように思うことだが、ルワンダの在宅と日本の在宅でオンラインで仕事をしていること自体は10年前から考えると、青天の霹靂だ。

ネットが発達してきたからこそできることの一つである。

 

アラブの春と言われたエジプトの政変はもう何時の頃だろうか?

SNSが世界に浸透しつつあったことの象徴的な出来事としてセンセーショナルな話題となった。

 

ネットの世論が国を動かす可能性がある。当該国だけではなく、世界からも関心を持つ人たちが、エールを送ったり、仲間をつないだりと、ネットではリアルな場のような制約がない分、自由にできるような感覚がある。ある意味そういう人たちにとっては、国境は簡単に越えられるのである。

 

私は、リアルの国境越えは何度も体験している。

飛行機でも陸路でも大陸国での移動は、実際に国境を必然的に意識する。国境を超えると言うのは、物理的にも労力だ。

 

そもそも、国単位で見たら治外法権もあり他国からは干渉されない状態を堅持することも重要だ。国家の安全保障と言う観点からも安定的な国家の維持のためにも国境は必要である。

 

一方で、ネットの世界には理論上の国境はない。

GAFAMだけに限らないが、ある意味、ネット上に同じSNSを利用する市民と言う感覚のオンライン上の国が幾つも存在するという表現をする人もいる。

 

私は流石にオンライン上の国家とは思わないが、少なくとも、同じSNS内では、意見の集約はやりやすいし、世論の形成もできるだろう。

 

すでに何億人という参加者のSNSが世界には数多く存在する。しかも、この状態はまだ10年の歴史もない。日増しにネット市民は増えている。この空間で行われる情報発信、コミュニケーション、人のつながり、知恵の蓄積は膨大なものになっている。

 

しかしITやネットは見えない世界である。これが悪用されると一つの国の混乱では済まない時代だ。

 

ビジネスに関わるSNSなどの功罪については、仕事柄も何度もこのブログにも書いてきた。こちらに関しては、まずはSNSを運営する会社のコンプライアンス遵守の問題であり、かつ、個人上保護などの外部からのガバナンス強化の問題であるので、時間と共に健全化に向かうことと予想する。

 

しかし、国境を越えた一般市民のつながりには、制限はかけられないだろう。制限をかける国もあるが、それを強制しすぎると、結局最終的には、一つの国の閉じたネットとしてしか生き残れなくなる。

 

ITの本来の健全な使い方からすると、それは科学技術の活用を間違える方向に向かう。国境を越えたネット世界のつながりが拡がるのは健全である。

 

そうすると、ますます、今の国家の仕組みとネットの社会の乖離は拡がる。そして、様々な軋轢が生じる。

 

人がつながるということは、情報が自由自在に流通する、循環するということだ。しかも、デジタル上の出来事なので、記録に残る。見える化が進行することでもある。

まだ過渡期なので、見える化を進めたい市民と、見える化を邪魔したい国のせめぎ合いもネット上で見受けられる国もある。

 

情報統制と言う言葉がある。どの国も少なからず行っているが、これも国によって大きな違いがある。今、情報統制をしようとすれば、ネットの規制が絶対に必要になる。

 

一方で、ネット上では国境を越えてすでに人がつながっている。

一見、二律背反するような状態に折り合いがつくころには、世界はどうなるだろうか?

 

 

間違いなく言えることは、今以上に国境を越えて世界がつながっていくのは疑う余地はないと思う。いつ頃になるかは明確に分からないが、ここ最近のネットの発達と利用者の急増から考えると、10年後には世界は大きく変わっているかもしれない。

 

以上