近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

最近とても気になる漢字の先入観について

日本語は奥が深い。

語源などを学んでいくと、とんでもない勘違いをして日本語を使っていることにも気づく。

 

実際、時々登場する新聞の記事に、ことわざや言い回しに関して、本当の正しい意味を間違えて使っている人のアンケートデータがあるが、他人ごとではない。

 

私は、今は正確に理解しているが、

例えば、情けは人の為ならず。などは典型だ。結構な人が、情けをかけることは人のためになにない。と思って使っている。

 

また、漢字は、読み方が変わるものもある。

既存(きぞん)と覚えてきた私はこれを(きそん)とは、なかなか、使えない。何となく気が抜けてしまう。

 

的を得るの使い間違いも多い。的を射ると言わないといけない時でも混在する。

 

考えてみたら、小学校の時からの国語の勉強をしっかりやりなおしなさい。となるのかもしれないが、それも少し違うと思う。

 

私は国語が苦手なので偉そうには言えないが、言葉は実践で磨くものだと思う。

もちろん、そのための基礎が必要なので、そういう意味では、国語に苦手意識を持ったまま大人になった私は、人よりも苦労をしたと思う。

 

基本的なことを知らないままビジネスの世界に入ると大変だった。レポート一つ書くのも骨が折れる。そして20年前に初めての本を出版した時にそれを心底痛感した。その後、出版会社を創り、ますます、日本語の奥深さに翻弄されてきた毎日である。

 

正直、最近ようやく自然体で日本語を知ろうと言う気持ちが高まってきている。

 

言葉がどうやって生まれたか、その時の時代背景やその当時の人の生活様式や環境も連想することが出来る言葉、実に深みがある。

もちろんこれは、英語でも他の国の言葉でも同じだと思う。最近特に、言葉は人間の文化と進化が全て凝縮されていると思う。

 

そんな中で、私が最近気にしている日本語を幾つか挙げてみる。

ひとつは、消費者と生活者。

私は、ここ数年話し言葉も書き言葉も、全て生活者に変えた。

数年前、ある経営者セミナーに出席していただいていた、私のメンターでもある先輩経営者が、私の講演後に感想と共におっしゃったことがきっかけだ。

“近藤さん、シニアの課題解決の話、面白かったよ。ところで、この頃気になっている言葉がある。消費者という言い方だが、近藤さんが新しい呼び方を考えてほしいな”

 

私は、この時の会話を生涯忘れることはない。

私も何となく、違和感があったが、この時ぐらいピンと来たことがなかった。

 

以来、私は新しい呼び方は考えられていないが、オーソドックスに生活者を使うようにした。

今、消費と言うのは、悪い意味も多く含まれている。地球環境を破壊することの原因の一つだ。だから、今は私は生活者を使っている。世間でもそういう傾向が強くなってきたと思う。

 

もうひとつは、精神論。今でもメディアでも時々見かけるが、精神論と根性論はセットで話題になる。簡単に言えば、今どき古い。昔と違う。非科学的。そんな良くない風潮で使う人が多い。

 

しかし精神論をカタカタ英語にすると、たちまちスマートに響くから不思議だ。それがメンタルである。

 

今、スポーツは言うまでもなく仕事も医者も何から何まで、メンタルを意識する時代である。ただ中身は一緒である。精神論や根性論である。日本語に一旦なじんでしまうと、その言葉でのネガティブな印象や思い込みが生まれるとその思い込みはなかなかとれない。

 

だから、あと10年ぐらいはメンタルを多用して、昔の印象を忘れたころに精神論を再度使えばよいと思う。

そうすると日本的な真のメンタルとは何かを語れるのではないか?

日本はもともと自然と共に精神性の高い国の一つである。

 

最後に、まだ答えはないが、気になっているのが外国人という言葉。

私も新興国によく行くが、どこの国に行っても私達日本人は外国人。彼らは私たちのことは外国人とは言わない。英語であればフォーリナーである。なんとなく、スマートだ。

 

日本で言う外国人は一昔前の外人という、よその人という響きがある。多文化共生が当たり前の時代に、相応しい呼び名が必要だと思っている。

 

宇宙人と呼べばよいが、まだ、時代が追い付いていない。なにか良い答えはないものか?

今のところは、私はできるだけ新興国の人、海外の人という使い方である。

 

以上