近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

何気によく使うセンスって何だろうか?

センスとは?

いきなり聞かれても、なかなか説明が難しい言葉の一つである。

これほど曖昧で幅広く使われることはないのではなかろうか?

 

ちなみに、デジタル大辞泉では、次のような説明である。

 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」

 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

 

“センスありますね”この一言は、なかなか人に言えるものではない。

なぜかと言うと、センスありますね。という前提には、自分もセンスある前提でないと、なかなか言えない。少なくとも、誰かにそういわれたことがなかったとしても、自分ではセンスある。と思っていないと、人にセンスあるよね。とは言えない。

 

最近だったら、よくあるのが、余りにも大衆化された写真だろう。

これぐらい気軽に撮れる時代が来るとは20年前からすると考えられないが、今は、誰でも写真が手軽に撮れる。スマホや携帯電話を使えばの話であるが。

 

写真の良い出来栄えのものは、友人に送ったりSNSに投稿したりする人も多い。私もそうしている。そうすると、この写真はセンスいいね。と反応が返ってくることがある。

もちろん、私も誰かの写真を見て、センスあるね。と思う事もある。

 

ここで言う、センスとは何かである。

スポーツでもよく使われる。プロがプロを評して使うこともあれば、アマチュアの若手選手を見てセンスあると使うこともある。

こういう時のセンスというのは才能あるよね。というニュアンスであることは直ぐにわかる。

 

では、ファッションはどうだろうか?

もちろん、ファッションショーにでくるような服を着ていれば、流石にセンスあるよね。と言われそうな気がするが、一般人であれば、服のセンスになかなか言及は出来ない。

 

私は、誰かに服のセンスあるよね。と使ったことは人生で一回もないと思う。

理由は簡単で、私は、ファッションのセンスがあると思っていないからである。

言い訳がましく書くと、無頓着と言うわけではないが、そういう意識がないからである。

 

こんな風に考えていくと、そもそも、センスがあるないは、人が人に対して、主観的にイメージするものである。自分で自分の事をセンスあるよね。という言い方も無くはないが、これは一般的な使い方とは違う。

 

私なりの考えは、自分が興味や関心がないことに関して、そもそも、人を評価したり感想を述べることはない。分からないのであるから、本来はコメントしようがない。当然、センスあるという、ちょっとスマートな言い方はできない。

 

結局、一般的なケースでは、自分が関心があり、かつある程度はその分野に精通していることが前提で、自分が持っている何かと比べて、それを基準として人にセンスがあるかないかを考える。そして、たまにそれを様々な目的でその相手に伝えることがある。

 

私も驚いたり、感心したりした時も、センスという表現を使っているような気もする。

 

仕事場で考えたときに、センスあるね。と一番使いそうな場面は、企画や提案だろう。あとは、デザインということもある。プレゼン資料の色使いでもある。

しかし、これにしても、例えば、私の好みやどう感じるかの問題だ。

仕事でセンスあるね。と言われて嫌な人はいないと思う。

 

しかし、何度考えてもあまりにも曖昧な言葉だと思う。

結局は、センスは相対的な尺度であり、絶対的なものではない。だから、何となく会話のトッピングとして使うのが良いのかもしれない。

 

以上