近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

好きな事だけをする人生は本当に楽しいか?

好きな事をしている時が一番楽しい。

 

これは人間皆、共通していると思う。

流石に、動物は好きな事をしているとは思わないし、きっと本能で生きているのかと思う。

そうすると、本能の赴くまま人間が生きていけるのかというとこれはあり得ない。

 

理性と本能を並べただけでも、相当、奥が深い。人間は理性的な思考回路があるし、そういう言動をするときもある。そして、人間は社会的動物である。

 

極端な話、1000人の村があったとして。(実際、今も村は沢山あるし、江戸時代などは村が国の構成の基本単位だ。)

ここでの生活を考えてみる。

村人1000人が好きな事だけして成り立つかと言えば、それはあり得ない。利害の衝突もあれば単純な喧嘩もあるだろう。災害やトラブルが発生した時に、助け合いもできないだろう。食料にしてもそうだ。豊作もあれば飢饉もある。生きるために本能的に食べ物を奪い合っている場合ではない。また、豊作の時に飢饉に備えて備蓄もするだろう。

 

人間はこうやって、社会やコミュニティの健全なる維持に腐心してきた。

実際に、たった200年前はこういう時代だった。好きな事だけする人は一部の権力的な特権階級か富裕層という事になる。

 

では、現代に置き換えて考えてみる。

一言でいうと、今は社会や他人のためのガマンをする機会が激減している。それを学ぶ機会も減っている。

実際に、ガマンができなくてキレやすい子供が増えている。

このキレるは脳の特性もあるし一概で語る話ではないが、ひとつにガマンを小さい頃に体験してこなかったつけである。

 

ゆとり教育しかり、少子化の中で甘やかしすぎてきたのは事実だ。これは中国でもベトナムでも全く同じ現象だ。

なにも、貧しい時代の子だくさんの時代に戻すべきと。こんな非現実的なことを言いたいのではない。

 

こういうことを書きながら無責任でいようとは思わないが、今の日本全体で、ガマンを体得させるのは容易ではない。

 

 

話は変わるが、私も最近、車通勤が多くなった。

ある有料道路での出来事だが、マナーのとても悪いドライバーに遭遇する機会が多くなった。極めて短い有料道路に追い越し車線も何もない。しかも、こちらは、常識的なスピードで走っている。

 

そういう輩のパターンは同じだ。しばらく、べた付けで後ろについて、そのままにしていると、いきなり追い越して、私の車の前に指示器を出さずに割り込んでくる。

昔なら、頭に来るところだが、最近は、そういう人を客観的に考えることにしている。

子供の頃の影響かなと・・

 

これは極端な事例だが、確実に年々、キレるということがニュースでも目につくようになってきた。

子供をすくすく育てるために、好きなこともさせる。シニアが残りの人生を満喫するために好きな事だけをする。こういうことは私は大賛成だし、そういう機会創りに少しでも貢献したいと思っている。それは、教育の機会でもあり社会貢献でありビジネスであるかもしれない。

 

一方で、好きでないことをガマンしてもする体験と言うのも絶対に必要であると考えている。

最近は、こういうことを言い切る大人も減ってきた。

何を遠慮しているのわからないが、大人は子供の未来にも責任を持つべきだと思う。

とても憂えているひとつである。

そして、今は怒らない人が好かれる傾向がある。

 

今は、喜怒哀楽の怒が欠けている社会である。

当たり前だがキレると喜怒哀楽の怒は全く違う。

要はバランスだし常識だし良心だ。

だから、好きな事だけしましょうという会話で盛り上がっている場所には私はあまり近づかない。

 

意識して好きな事をする。見た目は好きな事だけをしているようにも見えることもある。

しかし、少なくとも私がお付き合いをしている方々は、本質的なところでは皆さん子供の時から今でもガマンしている。

 

そういう方達の理不尽な人生も共有することが最近はこの上なく好きだ。

そもそも、人生は理不尽の連続だ、時代と共に変化しているだけで、今の理不尽は昔より多い。だからこそ、私たち大人が子供に本当の事を伝えていく役割があると思っている。

 

以上