近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

さんづけのメリットとデメリットを気にして早30年

最近、日本ぐらいややこしい、面倒くさい国はないと思っていることが幾つかある。

 

その一つは、“さん”づけだ。

 

国内だけでビジネスしていたら、そう気にならなかっただろうし、私が、親父の農業を継いでいたら、世界は違ったかもしれない。

 

色々な巡り合わせで、今のような仕事しているからこそ、余計に“さん”づけ社会が日本に実現するのは、遠い遠い先のように思えてならない。

 

相手の呼称をどう呼ぶかの話だが、うちの会社では、私を社長と呼ぶ人はいない。

近藤さんだ。

 

創業時に決めたことだが、いまではあまりにも当たり前になった。

動機は結構シンプルだった。

 

創業する前の会社で“さん”づけを提案した。

私は、中途入社ではあるが、実質、創業メンバーに近い形で雇われた。

27歳の時の3社目の就職の時だ。

提案したと言っても、スタート時は10名足らずの会社だから、そんな大ごとでもない。

 

だが社長にあっさり却下された。親会社がそうなっていないからと。残念だった。

単純に、さんで呼ぶ会社の方が私の性に合っていると思ったからだ。

20代の社会人時代、そんな訳で課長と呼ばれていた経験はある。確かに悪い気はしなかった・・・。

 

自分で会社を創れば、創業時であればなおさら、自分でなんでも決めれる。というか決めないといけない。自然と、“さん”づけにした。

 

些細な問題として、中途である程度大手の会社から来た人が異口同音に言ったのは、“社長と呼ばせてください”と。どうも気分が落ち着かないらしい。

 

もちろん、それは断ってさんで通してもらった。当たり前だが、時間と共に違和感はなくなる。仮に違和感があるままだと、会社から離れていく。

 

こんな時代が懐かしく思えるほど、今は“さん”づけは世間でも一般化されてきた。

 

15年前ぐらいだろうか。“さん”づけにしている会社が先進的に思われる時代もあった。先ほどの私の前職の会社も親会社が“さん”づけ採用になったら、必然的にそうなった。何をかいわんやである。世間とはそういうものかと痛感したことがある。

 

最近、“さん”づけで、新たにややこしいことが生まれてきた。それは、最近、大学の教授とお付き合いが増えてきたからだ。

 

もちろん、昔からすくなからずお付き合いはあったが、限定的な方と親しくしていたので、普通に“さん”づけだった。

 

100%ではないが、私は基本的に誰に対しても“さん”づけだ。

 



 

一般的には、税理士や建築士も先生だし、日本は不思議な世界だ。必然的に公認会計士を先生と呼ぶ人は多いが、私は普通にさんだ。

 

大学教授をなんと呼ぶか?も少々悩ましい。

私自身が悩ましいのではなく、そういう集まりでは、ほとんどの皆さんが先生と呼ぶ。

私一人、さんと呼ぶと違和感が確かにあるように思う。しかし、私は30年続けてきたことを変える考えない。

 

そうすると、大変なのはその関りに関係する社員たちだ。社長の私は、さんと自然体で呼べても、大学の教授のことをなかなか、さんと呼べないようだ。

 

まあ、考え出したらきりがない。

東北大学の名誉教授の川添良幸さんは友だちづくりをベースにグローバルな活躍をされてきた。お付き合いを始めて10年近くになるが、いつもフランクだ。お互いにさんで自然と会話が弾む。

 

一つ断っておきたいのだが、私は、私の知り合いを“さん”づけに変えたいわけではない。

この日本では不可能だし、日本の良さも大切にしないといけない。

 

社長や部長という言葉には、本来は敬語としての意味は含まれている。そうだとしても、私とのメールのやりとりでも実に多様だ。

近藤様、近藤さん、近藤社長近藤社長殿、代表取締役近藤様・・

やっぱり、日本語は面倒くさい。

私はできれば全て、さんでお互いに通したい。

 

でも、メールでは相手に合わせていく自分がいる事にも気づいている。社長と書かれたら社長と返す。中途半端と思いつつもだ。

 

何度も言うが、なんか日本語って面倒くさいと思う。

 

大切にしたい日本語ではあるが、グローバル化が進む中、ファーストネームで呼ぼうとは思はないが、せめて、ビシネスの世界は“さん”づけで統一出来たら、日本人意識も変わるように思う今日この頃である。

 

最後に苦労話を一つ。創業以来、“さん”づけを導入したものの、社員に社長と呼ばせようと何度思ったことか。

理由は簡単だ。“さん”づけは緩むのである。まるで、私を同僚や単なる上司のように思ってしまう社員が現れるものだ。

 

いずれにしても、肩書に頼らず、変な先入観なしに、さんだけで、相手に応じて慮りながら、対人対応が出来る事が日本人の成長につながると確信している。

 

以上