近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

衛生的すぎた日本のこれからを考える

かつて今ほど、日本人が衛生について、考え行動したことはなかったのではないか?

 

メディアによると、今年のインフルエンザの感染者数が劇的に減っているようである。

最大の理由は、コロナ禍で例年よりも手洗いやうがいが徹底されているとある。

 

確かに、私の日常のかかわりで見ても、劇的に回数が増えている。私自身も格段に手洗いする機会は増えた。

今のところは、日本人の高い衛生意識が功を奏している部分はあると思う。

 

感染症の危機管理状態にあるので、今はやむを得ないが、元来日本人は過度に衛生的であった。

 

新興国は、誰にでも容易に想像がつくが、日本に比べると衛生的ではない。

おおざっぱに比べると、新興国は、日本の昔の衛生状態に近い。私は50年前の日本の都会は知らないが、昔の田舎の状況と今の新興国はオーバーラップする。

 

私は、新興国でビジネスするなら、

“ごはんにハエがとまっても食べられますか?”

セミナーで何度も話してきた。

ベトナムだと、ご飯を食べていたらハエが飛んでくることは当たり前だ。

 

 

 

この話で伝えたかったことは主に2つだ。

 

一つ目は、それだけ日本と新興国の生活環境にギャップがある。特に、生活密着のビジネスを考えるのであれば、生活体験、生活実感がローカル目線でないとうまくいかないのは明らかであり、新興国の現実を伝えるためだ。

 

もう一つは、今の日本人は新興国の衛生面で苦労しますよという意味合いだ。

 

実は、国内での経営者セミナーでも何度も話したことがあるが、ある時、女性の経営者から質問があった。

“近藤さんの話はよく理解できました。では、日本の子供を逞しく育てるためにどうすればよいですか?”

思わぬ内容に、私は、正直今は思いつきません。今後の私の宿題とさせてください。と返答した。

数年前の事だ。

あれから、ずっと、衛生的すぎる日本での生活について、考えを巡らせている。

まだ、確固たる答えはなかった。そこへコロナ禍が発生した。

 

人間は、本能的にとことん、衛生的な生活環境を求めているのだろうか?

 

コロナ禍で世界の様相は一変したが、それ以前は、衛生的すぎる国、日本だったのは間違いない。

 

もちろん、それが、コロナ禍で、プラスに転じている部分はあるのは間違いなので、これはある意味、日本人らしさとも言える。

 

一方で、衛生を徹底しても、感染症や病気を防ぐことはおのずと限界が来る。

衛生的にするのは適度には必要だが、過度にすることは、結局は対症療法に頼りすぎることにならないかが心配だ。

 



 

コロナ禍が落ち着くだろう、近い将来、もう一度、日本は立ち止まって衛生のあり方を考える必要があると思っている。

 

もう一度、新興国の話に戻るが、ベトナムにしても、経済発展と共に生活環境もどんどん変わりつつある。特に富裕層の生活だ。私も友人宅に何度かお邪魔しているが、日本の平均的な住まいよりも遥かにゴージャスだ。一方で、日本と衛生面を比べたら、やはりそこはベトナム。ローカルな住まいよりは衛生的だが、日本にはとうてい及ばない。当然、街に出れば、今のベトナムがある。富裕層の自宅だけ衛生的にするのは不可能だ。

 

これから、ますます、日本も新興国とのつながりが深くなる。

衛生面でのギャップが新興国で活躍する日本の人や企業の足かせにならないように、日本も根治療法的な免疫力を高める必要があると思う。

 

最後に、アフリカの手洗い活動を紹介する。

日本は、子供の頃から手洗いの習慣が身につく。これはものすごい躾と教育の仕組みのたまものだ。学校だけではなく日本の社会全体の誇りだと思う。

 



 

だからこそ、アフリカで手洗いを推奨する日本の活動はリスペクトされる。

こういう根治対策が重要である。

 

今の日本は、除菌剤や消毒液などに頼り過ぎている。これは豊かだから出来る事でもある。

衛生的すぎて、免疫が落ちているのは間違いない。特に今の子供たちに対しては、衛生面で過保護過ぎだと思う。

 

例えば、これからは、過剰にトイレを清潔にし過ぎない日本。何事もバランスが必要だと考える。

 

コロナ禍だからこそ、衛生についても、日本だけの事でなく新興国を起点にした世界の目線で考えていけたらと思う。

 

以上