近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

人間には色々な終活がある、それは次の始まりでもある

シニアビジネスに取り組んでいると、よく遭遇するキーワードがある。

ボジティブなイメージでは、生涯現役、アクティブ、好奇心、100年ライフ。

反対のニュアンスでは、孤独、痴ほう、介護、寝たきり、貧困シニア・・・。こちらも色々とある。

 

では、終活はどうだろうか?

まだまだ、ポジティブキーワードとは言えない。

 

私も終活の言葉は、随分前から聞いたことはあった。ここ数年は、ボジィテイブな範囲で捉えていている。今は、人が旅立ってからの事も含めて、人間の生き方を考えている。

 

ちなみに、終活とは、自分が旅立つ時に親族や周りの人に迷惑をかけないために、準備をして段取りをしておくことを言うと解釈している。関連して、エンディングノートを活用する人も多い。

 

ところで、何歳から終活をすればよいのか?

結局はそれぞれ個人の問題だとは思うが、私の身近では、早い人で50歳手前からエンディングノートを始めている人もいる。

私自身は、今どきの平均的な60歳手前なので、まだよいかなと思っている。

 

1年前、“後悔しない年賀状終活のすすめ”カナリアコミュニケーションズから出版された。

澤岡詩野氏の著書である。澤岡さんは、シニアの活躍の応援に精力的に取り組まれている。

 

 

 

なかなか、フックなタイトルで、私も一読者として、人生の羅針盤の一つにしている。

 

シニアの方に限らず、お勧めだ。人はつながりの中で生きている。年賀状はつながりの一つである。終活の中で人間関係の整理を進める。なかなか、考えさせられる内容だ。本の後半には、具体的事例も掲載されていて、納得感が増す。

 

終活のなかで年賀状をいつ出すのをやめるか?

この本に出合うまで、考えてみたら、そういうことは考えたことはなかった。

 

私と年賀状だが、大きく分けて2種類ある。

仕事とプライベートだ。

仕事については、年々、eメールでのあいさつか自社のマガジン送付などに切り替えてきた。

ピーク時は、BtoBの仕事柄、紙の年賀状を数千枚出した時期もあったが、今はメールをご覧にならない方のみへ数十枚程度だ。

 

正直、ビジネスでも手書きの年賀状を読むと気持ちが入る。やはり、ありがたい。だからと言って、私にできるかと言えば不可能だ。そんな訳で、年賀状はプリンター任せになっていた。

 

創業時は年に200、300枚だったころは、それでも頑張って、手書きのコメントは入れていたもので、こういう時が一番、心がこもっていたように思う。

 

では、プライベートの年賀状はどうかだが。

正直、完全に惰性になっている。

 

そう考えたら、小学生の時の年賀状が一番ワクワクしていたように思う。

正月と言うことも特別感があったし、確か元旦の翌日だったと思うが、届く年賀状がとても待ち遠しかった。

 

スタンプなどを駆使して年賀状は作っていたが、受け取る年賀状のデザインや工夫も一人ずつのが楽しかったものだ。

こういう感覚は、子供時代だからだと思うが、大人になってから一時期、友達たちとの年賀状のやり取りが楽しくなる時期がある。

 

それは、20代後半ぐらいからだ。だいだい、友人も結婚する。その頃の年賀状は、お互いに子供の成長報告だ。大抵、家族の集合写真か子供の写真だ。なかには、普通の年賀状の友人もいて、妙に味気無さで目立っていた。

 

ちなみに私は、子供が数歳までは、子供の写真を送っていた。いまでも、その年賀状が机の引き出しのどこかにあったりする。

 

考えてみたら、もう20年近く、年賀状のやりとりでワクワクや驚くはあまりない。

マンネリ化しているのは事実だ。

そんな時、後悔しない年賀状終活のすすめとご縁が出来た。

考えてみたら、人生の終活とは別のタイミング、つまり、セカンドスージに向かって、年賀状をやめる選択もあるな。と思っている今日この頃である。

 

そんなことを言いながら、年の瀬が迫ってきて、プライベートでは、例年通りの年賀状を友人とやりとりしそうな流れだ。

友人関係の付き合いに限らず、仕事以外の人付き合いを充実するためも、もう一度、いますぐ、後悔しない年賀状終活のすすめを読み直そうと思っている。

 

以上