近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

テクノロジーの進化は本当に人間を幸せにしているのだろうか?

スマホはいずれ無くなる。

私は何年も前から、仕事の場で話をしてきた。

 

例えば、日本人向けのセミナーでもベトナム人向けのセミナーでも。

経営者が主体の聴講者の反応は、大半は、疑いと驚きの表情だ。

もっとも、私は数年前から繰り返しているので、私の話に新鮮味はすでにないが・・・。

 

便利だけど不便なものはやがてなくなる。 私が個人としても経営者としても常々思っていることである。

 

例えば私が働きだした頃、画期的な文書作成の装置だったワープロ専用機は今は見当たらない。

 

スマホがなくなると言う私の根拠はこうだ。

スマホが登場して、本当に便利になった。しかし、ストレスや弊害も増えた。

 



 

私のような出張族には、スマホのバッテリーの残量が生命線だ。小型化されたとはいえ、バッテリーを持ち歩くのは大変だ。特に飛行機乗るときには要注意だ。海外で、離陸間際の飛行機から降ろされたことがある。うっかり、スーツケースにバッテリーを入れていたのだ。このポカはたった一回だが、それにしても、バッテリーに関しては、相当神経を使う。充電用のケーブルを忘れてコンビニで調達したことが何度あることか。

 

あと、スマホには相当お世話になっているので、文句を言いたい訳ではないが、私の現状の課題をもう少し追加すると、とにかく中毒になるツールだ。

 

商売としてはお見事だとは思うが、程度問題はあるとしても、スマホ依存にならない人はいないのではないか?とにかく、気になる、触る、操作する。常に何かしている。 

 

最近は親切にも、どのアプリを何時間使いました。睡眠時間は何時間です。丁寧にスマホが教えてくれる。考えてみたら、寝る寸前までみて、目が覚めてすぐ触って。スマホに分かるのも、当たり前だ。

 

これだけスマホを活用している私が言うと説得力はないかもしれないが、だからこそ、私は今のスマホはなくなる。と断言できる。便利さよりも不便さや弊害が大きくなってきたからだ。

 

それこそ、ガラケーの時代と何が変わったのかを改めて考えている。

実は、私たちの生活や仕事に本当に大切なものは変わっていないと思う。

 

先ほどあげたワープロの事例だと、ワープロ専用機は、パソコンのワープロソフトに一気に席巻された。カメラも似たようなものだ。ここ20年の変遷をわざわざ書くまでまなく、皆さんも周知のことだが、あっと言う間に、スマホでかなりの写真が撮れるようになった。一方で、昔ながらの一眼レフの高級なカメラは存在している。ただ、こちらはプロや趣味の世界に限定されている。

 

こんな感じで、無くなってしまったものは、私たちの周りを見渡したらきりなくある。

 

人間の欲求を満たすために、ある意味、贅沢品には価値があるし役割もある。

できることなら、たまには私も少しは贅沢品を使ってみたい。程度差はあれ、ほとんどの人の人間としての本能的な欲だと思う。

 

ワープロにしろカメラにしろスマホにしろ、どれもセンセーショナルに登場した時は、贅沢品だ。しかし、それがやがて必需品になってくる。慣れとは本当に恐ろしい。

 

テクノロジーの進化は先進国では、便利と不便のスパイラルを生み出す。

必需品になってくると、今度は不便さや欠点が目につくようになる。

今の経済メカニズムの原理から言えば、次の贅沢品を出して商売しないと、顧客は飽きてしまう、離れてしまう。今やマーケティングの常識だが、本当にそうだろうか?

 

現代を評して、昨日の贅沢品は明日の必需品と語っている人もいるが、このスパイラルは幸せに向かっていると思わない。人間の欲には際限がない。

 

こんなことを背景で考えているからこそ、私は、今欠点や弱点が目につきだしたスマホはなくなる。と言っている訳である。ワープロのように消えるか。カメラように全く形を変えるか。

 

更にもう一つ、新興国の不要なものは、新興国の贅沢品であることも付け加えたい。

 

スマホ新興国の中古が新興国で大人気だ。

家電しかり車しかり、日本で使わなくなったものが新興国のいたるところで貢献している。必需品としてではなく、贅沢品としてである。

 

グローバル化が急速に進展している故でもある。

日本などの先進国の生活ぶりは、新興国からネットで分かる時代だ。自然と欲求もそそられる。

私は、仕事で静脈産業に注力している。

詳しくは別の機会にするが、産業を動脈と静脈にを分けたうえで、連動して考える経済理論である。

 

そろそろ、現代の人達が立ち止まって、必需品とはなにかを考えてみる必要があるのではないか。人間が自分自身の欲を追っかけすぎて、人間らしさを見失わないようにする。

世界中にスマホが広がった今だからこそ、スマホを題材に考えてみるのが良いと思う。

 

人間を幸せに、豊かにするための経済メカニズムだったはすだ。人間の欲を満たすために、天井のない進化を続けない限り、未来の人間の幸せは達成できなのか?

一世を風靡した書籍ホモデウスを読んでいると、とても客観的に人間を見つめなおす機会になる。

先進国では、昨日の贅沢品は明日の必需品。

本当の必需品は何なのか?今一度、考えたいものだ。

 

以上