近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

もし縄文人だったら、ITをどう使うか考え始めた・・・

 

 

ITは魔法の杖ではない。

これは、20年前からの私の口癖である。

 

このフレーズだけでその当時は、本気でビジネスをしていた。

そして、それなりに充実した仕事になった。

しかし今から振り返ると、若かったなと思う。

特に、たった一つの確信だけでも起業家として突っ走ることができた若さがあった。本来の起業家とはそういうものだと、今にしてつくづく思う。

根拠のない勢いというものかもしれない。

 

あっという間の20年と言えるが、ITはどう進化したか?

専門家としての見地からしても、想像をはるかに超えていると思う。

そもそも20年前にスマホが世界に普及すると考えていた人はいたのだろうか?

もちろん、インターネットあってのことなので、そう考えると、今の姿は30年ほど前に想定しえたことかもしれない。

それこそ、鉄腕アトムを描いた手塚治虫氏であれば予想の範囲か?

 

ITはテクノロジーの一つだが、IT以外のテクノロジーの進化も凄まじい。

この先のテクノロジーの進化は想像できない。

江戸時代を起点にすると、飛行機が飛び出すまでに100年は要している。

今は、車が空を飛ぼうとしている。進化が加速しているのだけは疑う余地はない。

 

こんなことを日々考えるのは好きなほうだが、本業の一つであるITは特に気になる。

この先どこまでITは進化するのだろうか?色々と頭を使ってはみるが、結局のところは想像がつかない。

 

想像が出来る事はたったひとつ。

果たしてこのツールを人間が使いこなせるのか?である。

言い方を変えれば、IT社会に人間がどう適応するかだ。

本当に自らが作り出したこの環境に人間が進化して適応できるのだろうか?

あと、もう一つ、私の確信として、今のスマホはなくなる。正確に言うと、今のこういう類のハードは劇的に変わると思っている。

 

話は変わるが、私は訳があって今、縄文人にとても興味がある。

日本のことを知りたい。日本人にとっての自然との調和とは。古神道に学ぶ日本のルーツ。こんなテーマを幾つか追いかけていると必然的に縄文時代に行きついた。

今、世間でも縄文時代が注目されていることにも気づく。

私の周囲にも詳しい人が少なからずいて、私も彼らに教わりながら刺激を受けている。

ますます、興味津々なのだが、最近、あることがひらめいた。

 

縄文人ならITをどう使うのだろうか?

20年以上前、“サルにもわかるパソコン入門”という本が流行したことがある。

タイトルはとても刺激的だった。ある意味、こういう感覚だ。

 

縄文時代新石器時代と呼ばれている。これは小学生の時に習った。

ちなみに、その前を旧石器時代と言う。

新石器時代旧石器時代の違いは、打製石器磨製石器かである。

縄文人はツールとして石器を使っていた。

彼らがITというツールに遭遇したらどう思うのだろうか?

石器とITをどう使いこなすだろうか?

ITは魔法の杖と思うだろうか?

 

 

 

 

今は、人間らしさを見つめなおして、人間らしさを軸にして生きていく時代の始まりだと思う。IT社会に適応するとは、今のようにテクノロジーの進化に振り回されるのではなく、不変なる人間らしさを中心において、ITを上手に使う事だと思う。

そのためにも、断捨離が必要かもしれない。

 

縄文人の気持ちになれば、自分が本当に必要なものは見えてくるのだろうと思う。

もしかしたら、すでに私たちは無用の長物に翻弄されているのかもしれない。

 

以上