近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

今の1日と若い頃の1日の違いと意味

1日1日を悔いなく全力で生きる。

その日できることは、できるだけこなす。仮にできなくても後悔しない。また、明日があるさ。こんな感じで日々を過ごす。

今私が考える、1日の過ごし方の目標である。

 

 

個人差がある前提での話ではあるが、70歳、80歳になってくると、本当にこんな境地で1日を過ごせるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

少なくとも、実際にそういう世代の人と接していると、私よりも1日過ごす感覚が、ピュアで、迷いなく、充実しているように感じる人が多い。

 

考えてみたら、若い頃、例えば、大学生の頃なんかは、1日単位で何かを考えることはなかった。永遠に今日が繰り返されるような日を過ごす感じがあった。そもそも、30歳になる、40歳になる事すら、考えることもなかった。当然、老後など、他人ごとの話だったと思う。

 

今の1日と若い頃の1日。

時間感覚で言うと、今は、とにかく時間が貴重だし、もったいない。一秒一刻と言えば、少々大袈裟だが、人生で達成したいことが定まってくると、こういう感覚も自分の心の中では大きくなる。

 

つまり、限られた時間の中で何ができるかを常に意識している日々かある。だから、残り時間は確定はできないものの、あと5年でとかあと10年で達成したいことを明確にして、行動している人が多いと思う。そういう私自身もこういう感覚である。

逆算ではないが、これを達成するためには、今までの経験に照らすと、これぐらいかかる。だから、自分が現役の間に、ここまでは達成する。登山で言えば、エベレスト登頂を目指すのか、富士山なのかの違いでもあるし、そもそも、頂上まで必ず行く必要も無かったりする。いずれにしても、達成できそうなゴールをイメージしながら、日々を過ごしている。

 

若い頃は、例えば、インターハイに出るとか、何か特別な高い目標設定がない若者は、自然とその日暮らしなっても不思議ではない。

最近時々思うのだが、あの若いころの時間感覚は、もう2度と味わえないのだろうか?

仮に、私自身が、今のような仕事を止めて、世間的には経営から引退したとしたら、若い頃のような感覚がもう一度、体験できるのだろうか?

 

ただ、少なくとも、あと5年後、10年後にそういう体験ができたとしても、人生のゴールだけはもっと明確に見えてくるので、やっぱり、余暇を楽しむにしても社会貢献するにしても、きっと、1日1日を大切に充実して過ごそうと思うようになっている気がする。

 

まあ、こんなことを考えながら、例えば、なぜ、ブログを3年近く毎日投稿しているのかという自分に気づくこともある。

つまり、やっている意味は何だったのか?書くことがなくなりそうな気はしないが、そもそも、読んでもらえる人がいるのだろうか?読んでもらったとして、何が伝えたいのか?

 

一回の投稿に必要な時間を文章作成、少しの推敲などを入れて平均30分として、これはこれで、限られた時間を結構使っていることになる。

一生続ける気はないので、どこかで、小休止はするつもりなのだが、その時に、空いた時間、つまり毎日の30分は何に使えるかを考えたりする。

 

こういう感覚が、明らかに若い時の時間感覚とは違う。若い時も今も時間はそもそも無限にはなかったのであるが、やはり、残りを考え始めると、時間を大切にと言う意識はますます高まってくる。人生とは不思議なものだとつくづく思う。

 

以上

コミュニケーションはいつになっても難しい

近藤さん、コミュニケーションは得意ですか?

もし、こう聞かれたら、少しは得意になりました。と答えるのが正直なところである。

 

今は、経営者はじめ、様々な世代、色々なタイプの人と話をする機会が多いので、コミュニケーションは得意な人という印象はあると思う。

実際は、葛藤の日々である。以前もこのブログにも書いたことがあるが、私は、面と向かって話をするのが、精神安定上一番楽で、メールやチャットのやりとりは、けっこう疲れるタイプ。

 

もっとも、SNSがなかった時代と言うのは、まだシンプルで、eメールはほとんどビジネスにしか使わなかったから、切り替えが出来ていた。

つまり、ビジネスモードのオンオフだ。

ちなみに、ビジネスメールというのも、結構大変で、紋切形の定例文章のようなメールを私は書かない。というより、書けない。

形式ばり過ぎるのは好きではなく、結構自由スタイル。それこそ、品格の高い企業に対しては通用しないようなメールだと思う。

私は、それでも、やや砕けたメールを使うのは、根本的な性格からだと思う。自覚はあるのだが、妙に真面目なところもあり、そっちにハマると、コミュニケーションがギスギスすると思っているところもある。

 

そして、今は、SNS全盛期。

ビジネスとプライベートが入り混じってのコミュニケーションが当たり前になった。学校時代で言えば、教室で真面目に先生の授業を受けながら、それが終わったら、先生とチャットでくだけた話をするようなものだ。

こういうのが今はビジネス界で当たり前になってしまった。私は以前から、拙著にも書いたことが何回かあるが、基本的には、SNSはビジネスに持ち込まないほうが良い。

オンとオフの切り替えが曖昧になるし、人間関係がラフになっていくので、ビジネスではあまり使わないほうが良いという意見だ。

 

実際、情報セキュリティの観点も加わって、仕事でSNSを使うのは、大企業では禁止しているところも多い。

私は、仕事柄、外部の人と、SNSでやりとりすることは多い。頻度で言えば、私ぐらい使っている人はそういないのではと自覚している。SNSの投稿も続けているからなおさら、コミュニケーションは難しくなる。

 

まあ、ある意味、自分がとことん使ってみて、このSNSの使い方や新たなるコミュニケーションに関しての、自分の見解や人の役に立てそうなことを見つけようという意識がある。

それは、情報の活用や組織におけるコミュニケーションについて、専門的に、企業のコンサルやアドバイスの仕事もしてきたからである。

 

そんな私が、実際、いまほど、コミュニケーョンが複雑で難しい時代はかつてなかったのではと思っている。今のところ、ますます、良くない方向に進んでいるという危機感がある。

 

ダイバーが唱えている人間が密に付き合える限界人数はおおよそ150人であるという説がある。今、SNSなどを上手に使うと、一見この上限をはるかに超えた人と付き合っているような感覚に陥る。ただ、これはあくまでも、感覚だ。

 

相手が様々な情報を投稿する。それをたまたま見てしまう。自分にとってポジティブに取れる時もあれば、その逆もある。直接コミュニケーションしている訳でもないのに、気分的には、会話しているかのような錯覚にもなる。

 

これだけでも、すでに人間の限界を超えたコミュニケーションを生んでいる。それに輪をかけて、自分が誰かと接点を持とうとしたときの労力が、SNS前の時代に比べると、とても簡単になっている。

これを逆に言うと、その時代には、私に対してもコンタクトする機会がなかった人でも、気軽にアクションをする。全面否定ではないが、真面目な私としては、一つずつ、返答しようとする。これが蓄積されていくと正直疲れる。

 

簡単に言えば、私が、社会人になったころにあった固定電話に戻りたいのではなく、携帯電話ぐらいがちょうど良かったと思っている。

とは言え、コミュニケーションツールは、多様になるばかり。自分がどうするかを決めるしかない。そんな心境である。

 

 

以上

記録しないビジネスの危うさ

仕事ができる人の特徴の一つ。

それは、記録魔であるということだと私は考えている。

もちろん、他にも、誠実であるとか、責任感が強いとか、顧客志向であるとか、プロジェクト遂行能力が高いとか、コミュニケーション力があるとか・・言い出したら山のようにあるのだが、今まで数多くの人と関わってきて、統計学的には、仕事ができる人はメモ魔であると言って間違いはない。

あえて逆に言うと、仕事出来なくてメモ魔がいるかということになるが、例外は否定しないが、一過性ではできても、習慣としては続くことはないと思う。

こんなことをベースに仕事している私は、自社でも新入社員や中途社員が入手した時は、とにかく、書いてもらう。

新入社員は仕事のやり方を、覚えていくだけということになるが、中途はそうではない。書いてもらうと、今までどういう世界で、どういうスタイルでどういうやり方で仕事してきたかすぐに分かる。

簡単に言うと、まず、人の話を聞いて的確に理解できるか?そして、それを分かり易く要約できるか?である。人間というのは人の話を聞くだけなら簡単だ。ただここで、あの有名な聴く力というところで、大きな差があるのだが、今回はその話は置いておく。

単純に人の話を聞く、ということでも、的確にメモができるのとそうでないのとは大違いだ。

これは、簡単に言うと、人間の限界=自分の記憶の限界を知っているかどうかだ。

 

私は、兼ねてから、様々なところで、発信してきたが、“記憶より記録”を重視する。誤解があるといけないので、断っておくと、訴訟などのためのエビデンスのためではない。簡単に言うと、記憶ぐらい曖昧で、思い込みに支配されるものはない。まして、対話している時に、どっちが先に言ったことなのかという判別が必要な時でも、記憶はあいまいになる。

 

スケジュール管理にしても、何にしても記録ができない人とは、仕事はやりにくい。とは言いながら、世間でもちゃんと記録する人だなと思う人は、10人で2、3人だろうか。

ここまでは、ITが特段関係なく、手書きのメモで良い話である。

 

ここから先は、ITを使って仕事する時の基本中の基本の話になる。記録しないものはデジタル化できないということだ。例えば、議事録、これを書くスキルも千差万別。重要なMTGであれば、記録するのは当たり前。

例えば、取締役会は議事録が絶対必要だ。ここに誰が何を発言したかも記載が必要な事項もある。結論だけでは成り立たない。責任との相関だ。

 

プロジェクト遂行においても同じ。程度問題はあるが、議事録は事実に基づいて作成するのが不可欠である。で、そろそろ、議事録をAIが自動作成するのではと話題になっている。

私は、これは、本当の現場を知らない人の言う事だと思う。話したことをテキスト化する技術は実用化に使いが、議事録は、至難の業であろう。

 

もちろん、いつかは、精度も上がるだろうが、少なくとも、当該MTGだけをAIに議事録化しなさいと言っても、無茶な話だ。当然、アジェンダは当たり前、その背景にある情報もAIが相当量の情報を活用してはじめて的確な議事録がかけるだろう。

話は元に戻すが、ITを使ってデジタル情報を活用するということがイメージにあるなら、誰でも分かる。とにかく記録しないと始まらない。

 

中小企業でも、これからあたり前になってくる見える化、知的資産の活用、リスクマネジメント・・・などなど。実に色々とあるが、全部記録が前提になるのである。

従って、これからもアナログの世界であっても、記録してきた人の方が、生き残ると私は断言できる。

 

 

 

 

以上

ITを使うと仕事ができるようになるのか?

ITを使わずに仕事をする人は、今どれぐらい、いるだろうか?

スマホもITツールの一つとして考えると、何らかで仕事にITを使っている人は、日々増えている。私の体験では、仕事にITを使いだしたのが約40年前である。

 

私が社会人になった頃に、ワープロ専用機が登場した。そしてほどなく、パソコンが普及しだした。それまでは、汎用コンピュータやオフコン(オフィスコンピュータ)を使う、オフィス業務がITを使う仕事だった。経理や販売管理と言った管理系業務の効率化のためのツールに過ぎなかった。もちろん、ITという用語は存在しなかった。

 

私が20代に体験したITツールで画期的だと思ったのは、表計算ソフトである。今では、誰でもが知っているソフトであるが、この当時は、こんな優れものがあるのかと驚いた。ワープロ専用機からとって代わってパソコンの文書作成ソフトが一気に普及した。

この時に一世を風靡したのは、ジャストシステム一太郎だった。パソコンで使えることで、日本で一気に普及した。しばらくして、プレゼン資料を作成するソフトが登場した。今でもメジャーなパワーポイントである。

 

ワープロ表計算、プレゼン作成。この3つに関しては、登場して30年近く過ぎても、未だに仕事の定番だ。この3つがあれば、たいていの業務はこなせる。

他のITツールでは、スケジュール管理とコミュニケーション系である。

スケジュール管理も、専用端末機で行う時代があった。それが、パソコンで使うようになり、今は、クラウド型を使う人が多い。

 

コミュニケーションに関しては、画期的だったのは、電子メールである。それがグループウェアに進化した。もちろん、今でも電子メールは多くのビジネスパーソンが利用している。そして、今、SNSを使う人も増えた。

 

こんな風に、私たちが日常仕事するときに使うITツールは、目覚ましく進化している。

もちろん、どんな会社にもある業務管理系のシステムもどんどん進化しているが、こういう類の仕組みは、基本的に、専門の担当者が利用する。また、営業管理のSFAソフトにしても、営業に関わる人が使う。

 

結局、ITツールというのは、概ね仕事の種類や職種に関係なく、汎用的に使うITツールと、専門的な仕事をこなす業務用のシステムの2つに分けられる。

今や、私達の日常は、ITツールを使って仕事をすることが当たり前になった。

改めてITというのは、登場してからどんどん進化をしているが、人が使うツールである。効率化や合理化をするためのツールである。

 

最近では、動画を使ってプレゼンや表現する機会も増えてきた。動画自動作成ソフトも一般化しつつある。まあ、考えてみれば、今でも過渡期であり、この先、使いようによっては、便利で有益なITツールは次々と生まれてくるだろう。

 

世の中には、おおざっぱに分けると、仕事ができる人と仕事ができない人に分かれる。

もちろん、その分け方も相対的なものであるから、誰と比べてというのがベースになるが、ITツールがどんなに進化しても、どんな便利なツールが出来ても、仕事ができない人がITを使って、仕事ができるようにはならない。

 

手帳でスケジュール管理ができない人は、ITを使っても出来ない。紙の書類が整理できない人は、デジタル文章の整理が出来ない。直接のコミュニケーションが出来ない人が、SNSできるようになるわけではない。報告が出来ない人が、ITで報告ができるようにはならない。段取りが苦手な人がITできるようにはならない。

 

一方で、仕事ができる人は、ITを使って今以上に仕事を効率化することができる。そして、仕事ができる人が、仕事ができない人のカバーをするのが世の常であり、この部分にもITは使える可能性は高い。

 

そうすると、ますます、仕事ができる人がITを使って、仕事ができるようになるのである。これは昔から変わらないし、これからも変わらない。

 

 

以上

新入社員に報告の重要性を教えるとしたら・・・

仕事において、報告するスキルほど重要なものはない。

私は、報告を受ける側でもあるが、報告をする側でもある。

立場によって、報告するのが主たる役割の人も多いが、報告をするスキルというのは極めて重要である。報告ができない人、苦手な人は、組織やチームでの仕事には向かない。

中途社員が新しく入社した時、初めて業務する外部の委託先など、報告のスキルで仕事力を判断できると言っても過言ではない。

 

この報告は、口頭と言う事もあるが、やはり重要なのは、文章である。少し本格的になると、報告書という形式になるが、日常の報告はそういう形式よりも、いかにタイムリーに要点をしかるべき人に伝えられるかという事が大切である。

 

報告と言えば、報連相を知っている人も多いと思う。報告、連絡、相談が仕事の基本であることは間違いないが、私は報告は別格であると考えている。連絡や相談は、それほど奥が深くなく、行為としてすることは簡単だ。

ところが、報告は実に奥が深い。

 

簡単に言えば、報告する相手がいて、その人が、理解しないといけない。その人と言うのは、組織上の責任者や仕事の重要な役割の人が多く、たいていは忙しい。当然、仕事力は高い。そう考えると、相手は、手短に要点だけを知りたいのだと想定される。

だから、言いたいことが分からない、だらだら長い、結論が最後に出てくる、こんな報告は悪い報告となる。

 

新入社員であれば、日報を書くケースが多い。いつまで日報を書くかは、会社のやり方次第であるが、仮にキャリアを積んで、日報を書かなくなったとして、この習慣は、ビジネスの基礎スキルとしてキープしたい。

なぜなら、自分が1日で行った事、成果、問題点、改善点など、日々、仕事の終わりにレビューして、記録に残すことはとても大切だからである。

 

私も、新人の頃は、日報を書いたことがある。20代半ばで、プログラマーとして、お客様先に常駐した時も、日報を書いた。正直、その頃はその重要性や必要性はあまり分からなかったが、自分が、組織を運営するようになり、社員の業務を把握するためには、日報は欠かせないと思い、私の会社運営でも当たり前に行っている。

 

報告にはプロジェクトの報告、トラブル報告、商談の報告、月次の報告など、実にさまざま存在する。内容も、書き方は色々ある。文章表現、語彙などの文章力と言うのも重要で、これは、良い報告、すぐれたビジネス文章を見て真似るのが一番良い。

シンプルに言えば、箇条書きで、文章が短く、論理が明確であることが大切だ。何よりも、重要なのは、誰が読む、誰に対する報告なのかを、頭にしっかり入れて、対話するつもりで、書く事である。

とにかく、長い報告はご法度であるが、トラブル報告のような詳細に経緯や原因を書かないといけないときは、要約版と詳細に分ける。要約版は、速報レベルで、事の重大さを伝える。報告を受ける側は、まずは、その判断をしたい。だから、文章に限らず、口頭であっても、結論から先に言いなさいと言われるのである。

 

悪い話の結論を先に書かずに、経緯からダラダラ説明する人がいるが、これは論外。

言い訳したい人と思われるだけの事である。仕事の報告とは、トラブル関係であれば、報告する相手に、事の重大さ、深刻さを真っ先に伝えないといけない。これは日常生活で考えても分かる事である。

 

新入社員の皆さんに、くれぐれも言いたいことは、どんな会社でも、できる上司ばかりではないということ。だから、お手本になるような人を見つける、そういう人がいなかった場合、反面教師とする。これができていれば、どんな環境でも仕事スキルは磨くことができる。

 

 

以上

デジタル派とアナログ派の接点は如何に?

皆さんは、デジタル派?アナログ派?

これではピンとこないかもしれないので、聞き方を変えてみる。

皆さんは、デジタル世代、アナログ世代?

これだと、返答がしやすくなったかもしれないが、単純に2つに分かれるものではない。

 

そういう私は、両方である。

とはいえ、基本は、田舎育ちで農村で過ごしていた18年間が体の隅々まで染みついている。数十年都会暮らししたぐらいでは、これは全く変わらない。

その一方で、たまたま、デジタルの世界のど真ん中、ITの仕事を40年やっている。これは明らかにデジタルの世界だ。ただ、私はデジタル世代ではない。

世代で言えば、デジタルネイティブと言われる人達がいる。

ちなみに、ウィキペディアから一部引用するとこうなっている。

デジタルネイティブ (digital native) とは、学生時代からインターネットやパソコンのある生活環境の中で育ってきたヒトの世代であり、日本では1980年前後生まれ以降が該当するとされる。2001年に提唱され、2010年代に入ってからバズワード化した。ネット世代(ネットジェネレーション)を含む概念である。

 

概ね、今の若い人達は、生まれた時から、今のようなスマホやゲームやSNSに囲まれている。大方の人がデジタル使いには自然と慣れていく。

対極にあるのが、高齢者、人によっては私の世代でもそうだ。少なくとも、10年前ぐらいまでは、普通に日本で生活していて、スマホやSNSを使う必要はなかった。

 

ところが、コロナ禍をきっかけにオンラインが普及、デジタル庁が発足し、デジタル先進国に追いつけ追い越せ?このような流れで、国民生活の隅々までのサービスがデジタル化されようとしている。少し前のニュースにあったが、2024までに、紙の保険証は無くなると。

 

今の若い世代は、保険証と言えば、すでにカードになっているが、昔の人は、紙の保険証のままであるのは想像に難くない。

IT活用の視点から言えば、例外は作らないほうが良い。仮に一億人がITを使って、たった一人だけITを使わない人がいたら、これだけで、ITの仕組みの余剰な機能が増える。ITの世界は、基本的に合理的、効率的に考える人が圧倒的に多い。少数派の例外は、無視したいところだ。

 

もちろん、無視と言っても、簡単に解釈すると、アナログからデジタルに移行してくださいね。という流れと移行を促すように期限がきられる。もちろん、例えば、高齢者の方で、全くスマホには無縁の人でも、身近な人がサポートしてあげれば何とかなる部分もあるだろうが、心情的にはやるせない。

どうせだったら、アナログのまま残りの人生を過ごせないのかと思うのも自然で本音だ。

そして、誤解が生じてはいけないが、いくらITが進化して、便利になって、色んな斬新な仕組みやサービスがこれから先、どんどん生まれたとして。

そもそも、人間はデジタルではない。

アナログだ。そして、世の中には多くの職種があるが、ITを使わない仕事は幾らでもある。もちろん、第一次産業にして、建築現場にしても、介護の仕事にしても、何らかでITをツールとして使うことはあるだろうが、それはいつになっても単なるツールであって、こういう現場がデジタルの世界になるとこは決してない。

 

アナログの世界にデジタル的なITをどう使うのかという話である。

最近、どうもデジタルかぶれしている人達には、私たち人間はアナログの世界でこそ、健やか穏やかに人生を送れることをどこかに忘れているような気がする。

加えて、間違いのない事は、デジタルネイティブも本質はアナログだし、それは、年齢を重ねてくれば、自然に蘇る事でもある。

 

 

以上

個と組織の付き合い方は、ますます難しくなる

仕事をしていて、この30年ずっと意識にあり、腐心しているのが、個人と組織の付き合い方である。組織とは、色々あるが、今回は会社の組織を前提に考えていく。

ここで言う個人とは、会社組織の中の個人の話ではない。

世の中には、個人事業主をしていたり、個人でビジネス活動をしていたりする人は結構いる。

フリーランスという言い方もあるし、会社を名乗っていても、社長一人の会社も多い。

 

特に、シニア起業になると、お一人会社が多い。私も、シニアの方にはお一人起業をお勧め派である。会社を経営している私の立場としては、基本的には、自社の社員で構成する組織の責任者である。言うまでもなく、組織運営は重要で、幹部や社員のマネジメントから社員教育、動機付けなど、いつになっても、完璧な答えはなく、常に試行錯誤である。

こんな立場の中、同じような組織の責任者とは、結構ツーカーの中になることが多い。それは単純に言えば、同じ苦労や課題を背負っているからである。

一昔前は、個人で動いている人は、士業やコンサルタントなど、限られていたと思う。それだけ社会に柔軟性がなかったとも言えるし、企業と個人が交わることは今ほど多くなかったと思う。コロナ禍で一気に拍車がかかったが、多様な働き方がテレワークの進行とも定着しつつある。ダブルワークをしている人も多いし、それを志向する人も潜在的に沢山いる。

 

昔で言えば、副業の領域の仕事も、OKとする企業も増えてくる。この流れは、歓迎な部分と、心配な部分がある。特に、会社と言う組織に属していて、一方で、別の仕事は個人で動く。

なかなか、この二刀流は難しい。

 

単純に仕事をするだけだと良いが、仕事は様々な人との関係性の中にあるし、機密事項に関わることもある。この切り分けができる人がどれだけいるかという事だ。昔の日本の終身雇用、年功序列の組織運営は、今でこそ、批判対象にもなっているが、実際に機能していた当時は、すぐれた仕組みだったと思う。今の時代には、ミスマッチではあるが、一方で、個人と組織の境目が曖昧になって行く中では、これからの時代にマッチした組織運営を再構築しないといけない時期である。

 

今、世間でもジョブ型労働が話題になっている。テレワークの形態やダブルワークになってくると、ますます、仕事の成果を評価するのは、労働時間だけでは心もとない。一方で、成果をどう判断するかは、とても難解だ。

また、当該の仕事をするのに、自分の人的資産のリソースをどう活用するかは、外部からは判別のしようがない。厄介な問題である。それと表裏一体に情報セキュリティリスクが横たわる。

さらに言えば、会社から見たら、ある時は、社員。ある時は個人事業主として関わる必要も出てくる。

私自身もシニアの方を中心に個人で活動する方との付き合いも多い。

会社の責任者として動くと言うよりも、あくまでも個人として接することが多い。そうしないと、会話や波長がかみ合わなくなる。

 

それは、どっちがどうのこうのではなく、組織を運営する立場と、個人で活動する立場では気にすることや責任の範囲が違うからである。個人と組織が混在するビジネス活動が進展する中、今一度、どんな仕事スタイルや仕組みが必要なのかを試行錯誤していこうと思っている。

 

 

以上