近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

出会った人が常に最高と思うことの大切さ

人脈という言葉がある。

昔は、仕事柄意識して使った時期もあるが、私はどうもこの日本語の響きは好きではない。

だから、人との話で相手に合わせることはあっても、自分から積極的にこの言葉を使うことは最近ほとんどない。

 

私がここ最近、連呼しているのが“つながる”である。

 

自分で言うのもなんだが、私は経営者などの交流会を開催するくせに、自分が交流会に行くのは基本的に好きではない。

 

だから、約30年の会社経営の中でも、人様の開催する交流会に積極的には参加することもなく、多くても年に1回か2回ぐらいだ。それも創業時に、ステイクホルダーから参加を要請されたり、友だちの経営者に誘われたりの特定の場合だけだった。

 

もちろん、BtoBビジネスをしていて、しかも、中小企業やベンチャー企業の経営のお手伝いをしているので、世の中には交流会が山のようにあるのは知っている。私か創業した頃から、世間では異業種交流会が盛んになった。

こういう交流会は単純に分けて2つあると思う。

 

一つは、営業パーソンが中心の新規開拓先につながる相手探しだ。こういうケースは、名刺の数が勝負になったりする。

 

人間が誰かに初めて会って、1か月後に、その人のことを明確に覚えられるのは数人が限界ではないかと思う。名刺をまずはどれだけ集めるか。営業の宿命だから否定はしないが私には合わない。

 

こういう営業が盛んな時代は確かにあった。私も経営者としての立場で、こういう名刺交換は何度も受けた。後日、電話がかかってきても、正直、初対面の感覚になる。

 

もう一つが、経営者しか集まらないケース。

私が実際に出席したもので言えば、あるベンチャー企業への投資をするファンドの運営会社の交流会。参加メンバーは基本的には投資を受けた経営者ばかりだ。

仮にここに、営業パーソンが参加していた、、本当に絶好の漁場だろう。もちろん、そういう参加者はいないので、そうはならない。

 

でも、実際は、営業系の会社の経営者は、せっせと名刺交換する。目的は分からないではないが、私のようなタイプはそういうことに興味がない。

 

つらつら書いてきたが、私はだいだいどういう行動をするかと言えば、1回で一人と出会ったら良し。と常に考えている。

 

誰かの紹介を受けて一対一で会うことも、こういう交流会で大勢の中からたまたま横にいた一人も同じと考えている。

 

もちろん、これは、ある程度セグメントされたメンバーが集まっている前提ではあるが、そもそも、その場に集まっている人の中で、自分にとって最高の人に出会おうとは思っていない。

 

仮にAI君がある今の時代であれば、事前にプロフィールや好みなどを入れておいて、マッチングすれば、最適解は容易に見つかるだろう。そういう意味でのデータ的には最適の人はいるはずだ。しかし、人生それで良いのかという考えが私の根底にある。

 

一期一会という言葉も頻繁に使うことはない。これは、あまりにも当たり前だと思っているし、私なりの理想とする解釈は次の様になる。

 

なんらかのきっかけで、たまたま出会った目の前の人との出会いを最高の出会いと考える。

 

この一言に尽きる。だから、きっかけは、何でもよいとさえ思っている。

 

実は、私は、創業時から、人と出会ったきっかけはしっかりと記録している。会社全体でもそれが記録されている。何かを綿密に分析したいわけではない。

何年か先に、何か良いことがあった時に、どこでどういう風に出会ったかを知りたいだけだ。

 

長年経営をやっていると、振り返って驚いたり、感動したりすることが沢山増えてくる。ただ。出会ったきっかけに関しては、結果とは全くの因果関係にないこともよく分かる。

やはり、偶然の必然なのである。

 

以上

 

オフショアは今や世界で出来る時代

オフショアという言葉は、決して一般的でない。

 

本来は、IT業界で拡がってきた言葉である。

海の向こうへという意味で、簡単に言うと、IT業界でオーソドックスな仕事のソフトウェア開発を、海外で行うことだ。

 

知る人ぞ知る。

あまりにも有名な話では、シリコンバレーなどのITのメッカから、インドにオフショアが始まったのが、もう30年以上前である。

その結果、インドはIT立国となった。

 

製造業に例えたら、中国が、工場のアウトソーシング先として一気に基盤を構築したのと同じだ。せっかくなので補足すると。日本から見た、製造業の海外移転は概ね、次のような流れだ。

 

最初は、トヨタが進出し、そのすそ野産業の発展でタイが一気に工業立国化した。

タイに行けば、日本を感じるのはそういう背景がある。今のタイがあるのは、トヨタのおかげと言う声も強い。当然、成長モードに入った国は、人件費が上がってくる。

 

製造業のコスタダウンの重要な要素に人件費がある。

だから、自然と、まだ発展途上で安価な労働力を求めて、中国へと移っていく。

もちろん、こういう流れでタイが衰退したわけではない。今も健在だ。

 

そして、チャイナプラスワンで最近は、ベトナムが注目を浴びている。

ベトナムもまた同じように年々、人件費は上がってくる。次はミャンマーか・・と模索が始まったところにコロナ禍が発生した。

 

この先の安い人件費を探し求めての製造業のアウトソーシング先の新たな発掘はとても心許ない。そういう意味では、製造業のあり方は大きなパラダイム転換の時期である。

 

では、製造業と比べて、ITはどうなのか?

周知の事であるがITは一人でも仕事ができる。パソコンを中心として開発環境を準備できれば、あとは、そのエンジニアのスキル次第だ。

 

とは言え、やはり、アウトソーシングする側からは、人件費が気になる。

こちらも、製造業と同じように人件費は高くなっていく。

 

私の会社では、もともと、25年ぐらい前に、上海から10名ほどエンジニアを採用して、日本に来てもらったことがある。この頃の中国は、全くの新興国で、上海の古い高層マンション群の建て替えが始まったばかりだった。今の先進都市の様相はそれ以降のことである。

 

この時代に、日本からの中国へのオフショアが始まった。

 

この時代は、日本企業はオフショアには消極的であった。最大の理由は、情報セキュリティの問題と、プロジェクトマネジメントの困難さである。後者の中で特に問題なのは、言葉と仕様書の書き方、それと品質管理である。

 

この頃、オフショアにチャレンジした会社は相当な苦労をしたことは容易に想像できる。そして、大連がオフショアのメッカに急成長した。

中国に遅れる事、約10年。今は、ベトナムへのオフショアがホットだ。

 

私の会社では、2000年から、ベトナムで日系第一号として現地法人を作ったので、ベトナムのオフショア、現地IT企業の変遷はつぶさにわかる。

 

今、私たちは、アフリカのルワンダでオフショアしている。

昔だったら、とても驚かれたことだと思うが、特段、そういう顧客からの反応はない。

 

世はコロナ禍で、通信環境の違いがあるとはいえ、一気に、オンライン活用が進み、在宅ワークが世界中で拡がった。これはIT系の仕事をする人には絶好のチャンス到来である。

 

反対に日本の経営者から見ると、日本人の優秀なITエンンジニアの確保は至難の業である。これは今に始まったことではないが、日本の場合は、職業選択の幅が多く、IT業界だけに優秀な人が集まって来ないという根本的な背景がある。

 

一方、新興国は、産業の発展と言っても中長期の話しで、やはり、個人でも勝負出来て、世界中の仕事ができるIT系の仕事は、とても魅力的である。

優秀な人がどんどん、IT業界に入ってくる。

全ての新興国がIT立国にと言うのは現実的ではないが、近い将来、日本のIT分野は新興国のITエンジニアに支えられる日は目の前に迫っている。

 

以上

 

日本のお土産とベトナムのお土産の違いから考える

ここ10年ぐらいだろうか。

日本の地方のどこにでかけても、お土産の種類が劇的に増えてきたのは。

特に、ご当地の食材を使ったお菓子類の種類の多さには驚く。しかも、次々と新商品が登場しているように思う。

 

実際、こういうところでのお土産を、私はそんなに買う頻度は高くはないが、定番の売れ筋商品はあるにしても、その他の入れ替わりは目まぐるしい。

 

私の感覚では、20年ぐらい前から、日本の地方のお土産に大きな工夫がみられるようになってきたと思う。

 

例えば、私は徳島出身だが、徳島の鳴門金時という有名ブランドのさつま芋のお菓子も一気に増えた。もともと、人気商品なので、無理にお菓子にしなくてもよいのにと思っていたが、どうも最近のお菓子ビジネスの戦略は、知名度も利用した食材を様々なお菓子にするパターンのように思う。

 

私が、ベトナムなどの新興国で活動してきて気になること一つに、お土産がある。

ちょっとした海外のお土産を日本の人にと思っていても、日本のように充実したお土産は全くないと言っても良い。

 

ベトナムも全国様々な特徴があるにしても、お土産はどこにいっても似たり寄ったりだ。

これは、私の世代ならよく分かるが、私たちの子供の頃、主食の方が中心で、副食のお菓子類の優先順位は低かったと思う。

 

もう10年近く前になるが、ベトナムの経営者から地方の特産の食材を活かしたお菓子を作りたい。小さくても良いので日本のお菓子メーカーと組みたいと相談を受けたことがある。

その時に、日本の地方のお土産としてのお菓子の書類の豊富さや特徴を説明したことがある。その経営者は興味津々だった。

 

とは言え、まだまだ、ベトナムはかつての日本と同じで、主食の充実が優先だった。

そういう意味では、ベトナムの地方の至る所の観光地にオリジナルなお土産が登場するのは10年先かもっと先かと思う。

 

こういう日本とベトナムのギャップを見ていて思うことは、必ずしも日本はベトナムの未来のお手本にはならないということである。

 

日本のように飽食になり過ぎて、なんでも自由にモノが変える国になり過ぎて、飽きるのも早い。だから、新商品開発のスピードが加速される。

 

話題は変わるが、出版不況と言われて久しいが、本を読む人が年々減ってきて、本の業界全体の売り上げはもう20年以上、右肩下がりだ。

その反面、書籍の出版点数は減るどころか増える傾向にある。

 

最近は、オンラインで書籍を買うようになってきたので、こういう状況には変化はあると思うが、それでも今でも全国に書店は沢山ある。

 

書店に行くと、次々と新刊が並ぶ。本は日本独特の再販制度と言う仕組みになっていて、基本的に書店は売れなかった本は、出版会社に返品する。

 

言い換えれば、売れた分だけの仕入れが発生するという仕組みだ。だがら、次月と出版会社は新刊を出す。なかなか売れない。点数だけが増える。

 

私の勝手な連想ではあるが、今の日本の地方のお土産ビジネスは、こういう出版ビジネスと同じような悪循環にハマっているように思う。

 

最近、地方を巡る機会も劇的に増えてきて、その度に、結局、生産者や加工メーカーにしわ寄せがいっているのではと、憂えているところである。

 

以上

 

AIは人知を結集して、健全に平和利用されないといけない

DXやAIに代表するバズワードが相変わらず新聞をにぎわしている。

実際に、日々お付き合いしている経営者と話しても、影響を受けているのは疑う余地はない。

本業として、IT支援を長年行ってきた私としては、今こそ、お役に立ちたいと決意を新たにしているところである。

少し前になるが、8月8日の日経新聞一面にAI研究の記事が大きく掲載された。

記事によると、AI研究で圧倒的な存在感の中国がこの分野において米国を逆転したとある。

日本でもAIブームが始まりだした数年前、まことしやかに業界で話題になっていたのが、すでに日本のAIは中国に圧倒されているということだ。

まだ、その頃は知る人ぞ知る話だった。

私もその情報を知って、正直驚いた。

もともと、中国は、優秀なエンジニアがシリコンバレーなどの米国のITの集積地に沢山留学したり働いたりしてきた。製造業などと違って、知的な労働力は容易に国境を超えることが出来る。もともと、中国人は優秀でしかも人口が膨大だ。

新興国の小さい国が、知的頭脳を活かすために、IT立国化する流れも世界のトレンドではあるが、やはり、エンジニアの数で圧倒する中国は強い。

一昔前は、ITの世界のアウトソーシングセンターとしてインドが席巻していた。バンガロールなどITが集積した地名はあまりにも有名だ。

この20年でITに関しては、劇的な進化を遂げている中国。

未成熟な生活インフラや産業インフラでのIT活用の進化は群を抜いている。

それに加えて、高度なAI研究においても、世界のトップを走り始めている。

しかし、この短期間の発展は目を見張るものがある。

いうまでもなく、優秀な人材に加えて、豊富な資金力も必要だ。

今の日本が太刀打ちできる領域ではない。

中国の強みは10億人を超えるマーケットがあるということと、それに加えて、様々な社会的検証ができるという事だ。

また、すでに新興国での覇権争いは有名なところで、東南アジアやアフリカの様々な国の社会インフラ投資も圧倒的である。

ITもAIも、製造業などの産業の進出に比べると、ハードルがとても低い。

しかも、情報がつながるという点においては、脅威にもなりえる。

 

私は、もともと、新興国でビジネスをするようになったきっかけは、神戸のとある小さな会社で中国人と知り合ったからだ。あれから、35年経った今、世の中にこれだけITが浸透していることも完全な想定外だし、まして、そのトップランナーとして中国が君臨するとは夢にも思わなかった。それは10数年前もそうだった。

 

すでにITやAIはビジネス利用だけの科学技術ではない。

国家の安全保障にも関係するし、地球の環境破壊の解決とも関連する。いわば人間の生活のために不可欠かつリスクを孕んだ社会インフラとも言える。

日本のこれからの役割がとても大切になってくる。

特にITに代表される科学技術の分野では、すでに追いつくことはないだろう。

ならば、世界の人たちが平和利用するような、調和、つなぐ、こういうあたりが日本の役割ではないだろうかと思う。

日本らしくないところで、勝負するよりも、歴史が長く独特の文化や行動様式を持つ日本ならではのAI活用を率先垂範したいものだ。

以上

 

北海道が身近になって来た3日間の出来事

秋の香りが漂う9月後半の北海道。

私は、札幌と旭川に挟まれた空知と呼ばれるエリアを中心に2泊3日の行程で4つの町を訊ねた。

 

北海道には子供の頃からあこがれと好感を持っている。これは日本人なら皆同じかもしれない。

 

 

 

 

実は、私が創業した時のイメージは、北海道の牧場に私がいて、社員にパソコンで時々指示を出す。こんな経営スタイルを思い描いていた。どんなを事業するとかサービスかとかは全く度外視して、こういう仕事スタイルに憧れていた。

 

農家で生まれ育ったことが源で、“北海道はでっかいどう”というキャッチに大自然のイメージが重なっていた。

約30年前の創業時には、SOHO(いまでいうテレワーク)でスタートしたからなおさらだ。自分や社員がどこにいても活動できる会社を目指していた。

 

実は、創業時、私にとっては、北海道は未知の場所だった。

始めて北海道に行ったのが、私が40歳ぐらいの時。創業10年目の頃である。ITセミナーで某IT系大手のセミナー講師で呼ばれたものだ。

 

前日の夕方、札幌に入り、到着するなり関係者と会食。そして、午前中のセミナーを終え、午後には関西に戻った。私の北海道初体験は、北海道の空気を吸った感覚すらなかった。

 

それから20年近くの間に、北海道に行く仕事は増えてきたが、せいぜい、札幌、小樽周辺が中心で、あとは、友人の経営者がいる根室に一度。

 

私たちが経済産業省から委託を受けたクールジャパンブロジェクトで、ベトナムでの日本物産館を運営した際に、北海道に参加してもらった関係で、ビジネス的な付き合いは深くなっていたこの10年だった。

 

実は、今回廻ったところは、私にとって初めてのところばかり。

旭川当麻町、あの有名な富良野町、三笠町。そして美唄市美唄に関しては8月に初訪問していたので、2回目だが、この周辺の初心者には変わりがない。

 

高速道路と一般道を利用した。車から眺めた北海道の光景は、ヨーロッパに似ている風な場所もあり、徳島出身の関西人としては、一言でいうと、日本とは思えない空気感を感じた。

 

実は、今回の訪問先の主たる目的は、地方活性化と有機農業の普及に関するテーマだった。

 

北海道の人は、北海道の良さを全てわかっている訳ではない。もちろん、これは北海道に限らず、人間の本質的な性で、やはり、自分たちの良さは他人でないと気づかないことも多い。

 

北海道の強みは何といっても大自然

コロナ禍のなか、自然回帰の想いが高まっている日本人。コロナ禍が落ち着いたのちには、大北海道ブームになるのではと確信した。

 

観光という意味でも増えるだろうが、やはり、期待したいのは大自然の中での学び。

 

生涯学習が当たり前になりつつある時代、一体何を学べば良いかを迷っている人は多いと思う。

いままでの学びと言うのは、学校が主体で、ここ最近は、如何に良い学校に行って、できるだけ優れた会社に就職する。

いわば、今の悪しき経済メカニズムの中で、活躍する人材育成と言っても過言ではない。

 

随分前から、地球は疲弊し悲鳴を上げている。

経済メカニズムの中にどっぷりつかってしまった現役ビジネスパーソンの耳には、なかなか届かない。

だからこそ、老若男女、国籍問わずの多様な人達が、大自然で学ぶ。自然を体験する中で、大切なことは何かを悟り、人間らしさ、日本人らしさを学びなおす。

こういう場所としても北海道は最適だと確信したとても有意義な出張であった。

 

以上

 

シニアの社長と仕事していて思うこと

私は今、70代、80代の社長の方々と仕事することが多い。

もともと、創業時から中小企業支援を軸に事業展開してきた。創業から30年が近づく今、高齢化社会が進展している中では、自然と言えば自然なのだが、こういう方々とのお付き合いや仕事は、とても学びが多いし刺激を受ける。

 

ただ、シニアの社長と言っても、様々なタイプがある。

今や日本の大きな課題の一つでもあるが、日本の中小企業の事業承継が、遅々として進まない中、生涯現役社長を貫く人も少なからず存在する。

 

実際、私の周囲の方もそうだが、事業承継は60歳代で行うのが一番多いと思う。

最近は、私と同じ世代で、長年同時期に経営をしてきた社長が会長職になる人が増えてきた。こういう方は、事業承継が上手くいって、次世代にバトンを渡せた人だ。

 

そして、その後は、引退モードの人もたまに入るが、たいていの方が、また新しい事業を始める。そういう意味では、ご自身の第二創業だと思う。

 

一方で、70歳になっても現役バリバリの方々とのお付き合いもあり、いつになっても好奇心旺盛で社会貢献型のビジネスを推進されている行動力には刺激を受ける。

70歳になってからが、成熟期なんだなと。と実感することも多い。最近、私が思うに、事業承継の適正年齢は70歳代ではないだろうかと思う根拠の一つだ。

 

日本の場合は、65歳以上のシニアの人口が、2030年には40%近くになる。

介護の問題だけでなく、今から30年近く、本当の意味でのシニアの人たちにとっての住みやすい社会の創造、自然と共生する街への回帰、人生100年時代を満喫するための新しい学びの場や働く場の創造。

 

幾らでも社会的課題があり、こういうものを解決するためには、シニアの方が現役で発想して自らが創造する事業や仕事が当たり前に必要になっていると思う。

 

仮に、40年前に創業して、今、70歳とする。この間に、平均寿命はどんどん延びてきた。先ほども書いたが、60代で事業承継と言うのは、そういう意味では早すぎると思う。また、経営環境の変化に連れて、会社が存続するようにかじ取りをするのは、やはり、創業社長がピッタリのような気がする。

 

今、数人の80代の現役社長とのお付き合いもある。流石に神様のように思えるが。

あと、10年もすれば、70代、80代の現役社長の人数も相当増えるような気がする。

 

私も他人ごとではなく、あと、10数年後、経営者を続けている可能性もあるし、それまでに一旦引退して、また、創業者としてトライするかもしれない。

 

もう一つのシニアの社長として存在感が増している理由は、シニア起業だろう。国や行政も、後押しをしている。

年金問題など、高齢者を支える財政が明らかに不足している今、自立するシニアが増えることは誰にとっても歓迎だ。私の周囲でも、60代後半、70代前半での起業が増えてきた。同じ経営者でも若くして創業して70代を迎えるのと、一念発起して、70歳にして起業するのでは、全然、違う。

彼らに共通するのは、常に生涯現役、生涯現場を一生貫こうとされている点。

 

社歴が長い経営者は、社会貢献としてのビジネスのあり方を模索する。

一方で、シニア起業の方は、自分のやり甲斐感を軸に活動される。

いずれにしても、私にとっても魅力的な方が多い。

こういう方々とお付き合いを続けながら、60代、70代をどう過ごすか。今は全く白紙だが、楽しみでならないことの一つである。

 

以上

なぜ人間は自分が出来ていなことでも人に言えるのか?

有言実行と言う言葉がある。

不言実行でもよい。

何事においても実行している人の言葉は重みがある。

 

コンサルタントという職業がある。

私はそういう肩書で名乗ったことはないが、結果的にはコンサル的な仕事も数多くしてきた。

私は、自分が出来ていることを前提で、人様のお手伝いをしたい。

だから、ペースメーカーと自称してきた。

 

一般的に、コンサルタントの仕事は、自分が出来るかどうかは別である。

仮に自分が誰かににアドバイスしたりノウハウを教えたりしたからといって、自分がその通り出来る訳ではない。

 

だから、結局、自分ができなくても人にアドバイスやノウハウを伝授して、相手が結果を出せば、コンサルタントの役割は果たせる。

 

スポーツの世界で考えてみても、面白い。

名選手は必ずしも名コーチではない。これは野球でもゴルフでもどんなスポーツでもそうだ。

こういう風に考えてみると、人に対してアドバイスしたり何かを教えたりする人は、極端な話、自分が全く経験がなくても良いのではないかと思う。要するに、相手にとって修正ポイントや改善点を的確に指導できれば良い。

マンツーマンで、教える相手のあるべき姿が見えていれば出来る。コーチの役割とはそういうものかもしれない。

 

では、これを上司部下の関係に置き換えて考えてみる。

例えば、報連相ができない上司が部下に報連相をさせることが出来るのか?

私の経験上、これは結構成り立つ。

上司としては、部下にやらせるだけだから、意外と簡単にできる。だが、これでは、部下は納得しないだろう。

 

先ほどのコーチの話に戻ってみると、例えばゴルフ界のスーパースター、タイガーウッズのコーチはどう見てもタイガーウッズよりも実際のプレーの実力では劣る。しかし、コーチ業は立派に務まる。

 

仕事上の上司部下の場合は、部下から見たら、上司は、自分が出来ていることを部下に指導なり教育していると思っている。自分のことはいい加減な上司から報連相をしなさいと言われても、本音では聞く気にならないだろう。

 

しかし、理想通りには組織運営は出来ないのが普通で、今一つの上司など、どこの会社にも沢山いる。組織運営の観点にだけ立てば、言うだけの上司も必要な時もある。

 

仮に、組織で、自分が出来ていないことは、部下には指示しない、指導しないとなると、組織は崩壊する。完全な上司しか、組織上の上に立てなくなる。

 

一見妥協にも見えるが、組織を円滑にする上では不完全な上司も上手に使う必要が出てくる。

 

それにしても、自分がするよりも人に言う事が簡単であるのか?

という問いに対しては、人に言う方が簡単であることは明白だ。いわゆる理論と実践の違いだろう。結局どんな世界でも実践できる人は全体の10%から20%。

 

理想で言えば、実践できて理論も教えられる人がベスト。次に役割として存在するのは、仮に自分が実践できてなくても、理論を教えることが出来る人のは役割は存在する。

 

ただし、それも会社の方針による訳で、私は実践して理論も教えれる人を一人でも増やしたいと思って、組織運営をしている。

 

以上