近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

過去のしがらみを引きずる時代の生き方

最近、ずっと考えていることがある。

それは、人と人のつながりの記録のことである。

 

私は仕事柄、ITを長年使ってきたし、それをビジネスの源泉にしてきた結果がある。だから、記録の時代にある人間がこの社会に適応することが重要で、今は急激な変化に人間が苦悩していると思っている。

 

象徴的な意味で、しがらみという言葉を考えてみる。

 

デジタル大辞林で調べてみると、なるほどと納得する。

 水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。

 引き止め、まとわりつくもの。じゃまをするもの。「世間の—」

 

 

 

例えば、過去のしがらみを断ち切る。とか、過去のしがらみに縛られて生きる。こういう使い方が一般的だと思う。

 

映画でもドラマでもこの人間のしがらみが、ストーリー中に巧みに取り込まれている。

私は、こういう人間が創造した映画やドラマを観ながら思うことがあるのだが、共感はしつつも、人間ってもっと泥臭いしもっと深いよねというのが本音だ。

 

事実は小説より奇なり、という有名な言葉があるが、人間の生身の世界で本当に起こっていることは、自分本人しか知らないことも多いはずだ。

 

過去は忘れたい、嫌なことは思い出したくない。特に失敗経験や人とのトラブルや感情のもつれなどは、できれば忘れたいことの一つだろう。

 

一昔前であれば、よっぽど、日記に書いているとか手帳にメモしているのでなければ、そういう忘れたい出来事は時間とともに記憶が薄れていく。そうして、自分の記憶から消えていくと思い出すこともない。時として、強烈すぎる刺激になるとトラウマとして残ってしまうが、一般的には、人間は、過去の嫌なことなどは忘れていくようになっている。

 

ところが、今は変わってしまった。

それは、SNSの登場によると思う。特に、Facebookはつながりを見える化した代表的なツールだと思うが、使っている人と使わない人の世界は全く違うところがある。

 

 

使っている人にとっては、当人がどこまで開示するかによるが、自分の人つながりをオープンにした世界で生活している。使わない人にとっては、今まで通りだと思う。

 

今は、まだまだ、SNSは新しいツールだし珍しいし、投稿はそれなりに面白い。今を楽しめるからよいやという安易な気持ちの人が多いと思う。

 

ところが、私の周辺でもトラブルの発生頻度が増えてきた。つながりが切れた時、それまでのつながりをどうしていくのかの答えはまだない。

 

例えば、会社でSNSを使う。そうすると、会社の一員としても個人としても結果的にはつながっていることになる。SNSの世界では、会社とプライベートは分けているつもりでもこれは容易なことではない。

 

会社を退職した時に、それまでにつながってきたことを一切断ち切るのか?継続するのかの二者択一ではないにしても、一切断ち切らな限り、結局はつながる選択をするということになる。

 

一部だけ、つながりをキープするという芸当は、今のSNSの仕組みや機能では不可能に近い。

 

これをSNSがなかった時と対比してみればわかる。こういう時代は、選択肢は沢山あった。

会社に属している間は、100人とつながりがあったとして、離れた後は、その中の数人だけとつながりをつづけることは普通にできたし、実際に私もそういう若い時を過ごしてきた。

 

要するに会社を離れても人生で付き合っていきたい人とつながってくという選択だ。人間にとっては、これが自然な行いかと私は思う。

余計な過去のしがらみを引きずって人生を過ごすことは意味がない。人生は人付き合いも選択の連続である。

 

ところが、SNSを使っていると、自由で柔軟な選択が実に難しい。

特定の数人だけとSNSのつながりを継続するというは難解である。そうなると、やはり、一切、使うのをやめるという選択になる。

 

今は、SNSは過渡期であるのは間違いがないが、先のことまで考えてつながるのではなく、今だけでつながっている人が多いと思う。

 

先々になって、後悔したり苦労したりしないためにも、今、本当につながる必要がありますか?今、そのつながりをわざわざ公開する必要がありますか?あるいは、先のことも考えて使い分け出来ていますか?

私もITの専門家の一人として、こういうことをしっかり道案内しないといけないなと本気で思っている。

私のような経営の責任者をしている立場だと、転職もないわけで、今、つながっている人とは、ずっとつながっていく。そういうつもりでいることで行動する立場でもあり、逆に言うと、自分からつながりは切ることはない。

 

以上

 

社会の目からデータの目へ変わる期待感

人の目や社会の目が気にならない人は、いるだろうか?

 

自分は他人からどう見られているだろうかと、沢山の人が気にして悩んでいる。特に思春期はそうだと思う。一方、70歳を超えて明るく元気な人は、そういう悩みを微塵も感じないような達観した雰囲気がある。

年齢がそうさせるのか?長い人生経験の中で会得した何かがあるのだろうか。

 

そういう私は、世間の目や人の目は、気にしないのではなく、どうして気になるのか?ということに向き合いながら、折り合いの付け方を考えてきたタイプだ。

 

人の目と言えば、自分に好意的かそうでないかは、今でも気になる。ただ何となく人に嫌われたくないという意識が強かった10代の頃とは違う。そして、その頃は言いたいことも言わずに何となく穏やかにまろやかに過ごしていた。

 

学生時代に友人との衝突がきっかけで、私は、超はっきりいうタイプに変わった。少なくとも周りからはそうみられるようになったと思う。

 

それは私が言動を変えたからだ。いわゆるストレートに言葉に表すようになった。今振り返ると、本質的には変わっていないのに、表面だけ変えようとしていた20代だったと思う。

 

今どうかと言うと、わさわざ、馬の合わない人とは無理して付き合う気がないし、そもそも、個人的な好き嫌いを気にする歳でもなくなった。

 

自分がどう見られたいかを気にするよりも、自分はこういう人間です。こういうことを考えて行動しています。ということを表現することに集中している。間違いなく、私を嫌いな人も沢山いるだろうと感じながら、好きにやっている。

 

人の目と近い意味合いにもとれるが、もっと大きな意味を持つ世間の目や社会の目がある。

 

子供の頃に田舎で母親におてんとうさんが見ている。と教えられたあれだ。

要するに、人が見ていても見ていなくてもおてんとうさんは、全部お見通しだから、悪いことはしたらダメですよ。という教えだ。

 

こういう言われてみたら、若い頃は親の教えを無視して生きていた時期もあった。確かに、誰かがいたり見ていたら、しないことでも、誰もいない場所ならする。こんな経験は私にもある。

 

今でこそ、環境問題の解決や自然保護の活動に少しでも貢献しようと本気度は高いので、流石にジュースの空き缶をポイ捨てはしないが、昔であれば、これぐらいいいやと言う気持ちで、人が見ていなければ、捨てていたことはある。今となっては、本当に大きな反省ではあるが。

 

今でも世の中には、人が見ていようがいまいが、正しい行動を出来る人も沢山いる。

一方で、今は、見えないことを悪用して、ずるいことをし放題の世の中でもある。

 

ビジネスも不健全なものは沢山あるし、子供のいじめの問題もエスカレートしている。地球の環境問題にしても、遠い遠い貧しい国のことはなかなか分からない。

 

子供の頃の躾で身についたおてんとうさまの教えだけで頑張っても、もはや私たちの健全な活動や生活は維持できないぐらい、不健全で不公平が蔓延している。

 

人の目、世間の目を全部合わせて社会の目だとすると、今後ますます社会の目が効かなくなる方向に向かっている。したい放題の時代とも言える。

それをITが助長している部分もある。

 

IT活用が地球全体で進む。ITというのは言い換えればデジダル化であり、これは記録が残るということである。記録は改ざんされるリスクはついて回るが、ボリュームが膨大であれば、改ざんは困難だ。

 

常に、私たちが活動した記録が残る。つまり、行った結果が記録されていく。嘘やごまかしはできないということである。

 

 

 

 

昔のように皆が世間の目を気にしている中で、平和な社会が成立していた時代に戻るのは難しい。

 

これからは、記録されたデータの目も取り入れて、社会の見える化が促進し、人間が安心して暮らせる社会を目指すのが今は最適解だと思う。

 

以上

 

 

なぜ、アフリカの子供たちは無邪気に純粋に思うのだろうか?

アフリカに行って、子どもたちと接した時のピュアな感覚は、いつまでも心に残っている。

 

私はこの数年で、10回近くアフリカを訪れた。

現地法人があるルワンダが一番多いが、あとは、ウガンダケニアエチオピアだ。

できるだけ早く、54か国全てに行きたい気持ちが強いが、この1年はお預けである。

 

新興国のどこに行っても、感じることは多様で沢山ある。日本の昔とオーバーラップする懐かしさがあったり、その地域や環境独特の生活様式があったり、刺激的であり感動的であり、とにかく気持ちが洗われる感覚がある。

 

特に、アフリカで出会った子供たちの印象は強いものがある。

一言でいえば、無邪気である。子供はどこの国でも昔も今もそうだとは思うが、特にアフリカの子供たちは一生懸命に生きていると感じる。

 

実際、子どもの時に人生が終わってしまうことも多い環境だ。食料の問題や衛生面で考えても、本当に私たちの先進国に比べたら、劣悪で、何とかしてあげたいという気持ちも自然と湧いてくる。

 

実際、井戸から水を汲み運んでいる様子などは、本当に表現のしようのない気持ちになる。見方を考えれば、労働をしている訳である。もちろん、本人たちは、労働ではなくて生活している。もっと言えば、生きているのだろうと思う。

 

私の始めてのアフリカはウガンダだった。

その時に何気に撮らしてもらった写真がこれだ。

 

 

彼女らを見る自分の意識と反対に、彼女らから見たら私は一体どういう人として思われているのだろうか?

この写真を見る度に、そういうことを思い返している。

 

こちらは、2回目のウガンダで、学校に行けない子供たちを集めて、ボランティアで勉強を教えている古い木材で作った学校を訪問した時の写真。

 

 

 

こちらは、2回目のウガンダで、学校に行けない子供たちを集めて、ボランティアで勉強を教えている古い木材で作った学校を訪問した時の写真。

 

この時は、日本で一緒に活動しているシニアの方と女性と一緒におじゃました。皆さん、異口同音に何かサポートしてあげたいね。とおっしゃる。

 

そう、アフリカで見る子供たちをかわいい、愛らしいと思う気持ちに加えて、やっぱり何とかしてあげたいのだ。

 

こんな無邪気な子供たちは、生まれる場所を選んでいる訳ではない。しかし、私たちの国と比べてしまう自分たちも何とも言えないが、やっぱり環境の格差は相当大きいのである。

 

だからこそ、ことさら無邪気にピュアな印象が強くなるのかもしれない。

 

こちらの写真は、ルワンダの地方の街での子供たちの風景だ。

 

 

 

この彼らの遊びは、日本の昔のような遊び方に近いものがあった。この時に日本の仲間たちは、とてもなつかしい感覚に浸っていた。

 

シンプルに言えば、これらは私たちが今の日本の日常では体験できることではない。

しかし、戦後の荒廃の時期を経験した日本人からすると、今の日本の復興ぶりは想像を超えた信じられない変化だと思う。

 

アフリカの事情はまた違う背景があるにしても、この子供たちが大人になる頃。このアフリカかどう変化するのだろうか? 

 

興味本位ではなく、何か一つでもこの子供たちに役立つことを始めようと思っている。

一つ、オンラインによって、学ぶ機会を創造していくことも計画している。

それ以外にも、同じ地球の一員として、先進国が出来る事は沢山あると思う。

 

以上

 

現代人の最大の悩みは時間の使い方かも

いつからだろうか、時間のことを毎日気にするようになったのは。

私は、少なくとも学生時代、時間は無限にあるように感じていたし、時間に追われて何かすることはあまりなかった。のんびりタイプだった。

 

社会人になってからも、数年間は学生時代の延長だったので、残業をほとんどしなかった。それだけ期待されていなかったというのもあるだろうし、仕事にそれほど真剣に取り組んでいなかったとも思う。

生活するための給与をもらうため働くというぐらいの意識しかなかった。こういう頃を振り替えると、常に時間は自由になるとしか考えていなかった。

 

それが一転、31歳で創業してからの数年間は、とにかく必死だった。始めてしまった会社経営を何とか軌道に乗せるためだった。いわゆる、がむしゃらに目の前の事だけに取り組んだ時期である。時間がなかったのでは無く時間を忘れていた。

 

30代は野球もゴルフも全くしなかった。

30代後半から健康のために水泳を始めたぐらいで、寝ても覚めても仕事をしていた。

 

そして40代はほとんどをベトナムで過ごした。だから日本での時間感覚が空白期間だ。

ベトナムでの時間と言うのは、日本とは全く異次元であった。交通機関が充実している訳でもなく、日本のように高速道路も当時は一つもない。

 

先進国の日本に住んでいながら、ベトナムでいる時は、まるで子供の頃の時間間隔に戻ったように社会全体はのんびりしていた。

 

 

 

 

時間をきっちりしようという行動の実現は至難の業だった。交通渋滞は当たり前、そもそも、時間を守るという習慣がほとんどない国で、日本的な行動はストレスも溜まった。

 

こういう時に、日本に戻ると、まるで別世界のように感じてしまうのである。よく日本人の印象として世界から言われているが、本当にせかせかして時間に追われているように感じるのである。

外国人の気持ちが少しわかるようになった。

 

今の私が時間に対してどう思っているかだが。

やりたいことが山のようにある中で、どれに時間を割くか。この選択の毎日である。

 

今は仕事だけのことを考えているのではない。趣味と言うか新しい分野にもチャレンジしたい。音楽であったり書道であったり絵画であったり。これだけでも時間が足らない。今は、コロナ禍で日本にずっといても、時間が余ってきたわけではない。

 

こういう機会に少し客観的に考えてみると、少なくとも海外にいっていた間は、日本でしていた事は全部ストップしていた訳で、結局は選択の問題であると改めて認識できる。

 

少なくともいえることは、どんな人にとっても時間は平等で1日24時間である。しかし、毎日、8時間寝る人もいれば4時間で良い人もいる。

 

通勤時間にしてもそうだ。自分が住んでいる家と会社との関係で通勤時間に費やす時間が決まる。常に時間は人それぞれで使い方が違うのである。ということは、誰かと比べるのではなく、1日24時間を基本単位で考えると、自分がどう使うは自分で組み立てるしかないのである。

 

今の歳になって思うのは、時間は無限にあるのではない。そして、少なくとも人間は終わりが来る。だが、大抵の人にはその終わりは分からない。

 

だから、残りの人生で何かやろうと考えることも大事だが、だからと言って時間に追われるのはナンセンスのような気がする。

 

そう考えたら、やはり、分かり易いのは1日24時間をどう使うか。そこを基本に、数日間どうするか、1週間どうするか、1か月どうするか。せいぜいその単位で、時間を有意義に使うことを考えてみるのが良いような気がする。

 

そもそも、時間と言うのは、曖昧であるかゆえに、時間に追われいような気持ちの持ち方が何よりも大切なのかもしれない。

 

以上

 

人にはブランクは付き物だが復活するときの心構え

人生も60年近くになると、何かとブランクを体験する。

 

実は、私は、先日2年ぶりにゴルフをした。

もともと、健康のためでもあり趣味でもあり、また、皆さんご存知のように、ゴルフは仕事とも密接である。データで見ても、社長が一番好きなスポーツはゴルフである。

 

時間がかかるということは少し難点ではあるが、健康にも良いし一石5鳥ぐらいの価値があると思っている。私が本格的にゴルフを始めたのは40代前半。それまでは、スポーツといえば、野球、テニス、水泳だった。

 

では、なぜゴルフを始めたかと言うと、シニアになった時にできるスポーツは何かと考えたのと、周りの社長にゴルフ好きが多かったからだ。

 

まさかの2年前の今頃、ひょんなことから右足首を骨折した。骨折自体は数か月で何とかなったのだが、その後、腰の不具合が生じたり、コロナ禍が始まったりで、結局2年のブランクになった。

 

ゴルフは激しくはないが、基本は全身運動だし、歩くスポーツである。だから足腰が重要になってくる。この2年間、歩くということにおいては、全く不足していた。実際18ホールをプレイしてみて一番痛感したのが、以前のようにはゴルフでも歩けなくなっていること。

これは、明らかに足腰が弱っている証拠だ。

 

ところで、プレイの方はどうだったかと言えば、2年間全くクラブも握らず、ボールも打っていなかった割にはなんとかなった。

 

 

 

ゴルフを再開すると決めてからは、まずは1か月半前からの練習用バットの素振り。

そして、1か月前から、ドライビングレンジでの練習。ゴルフする人にはわかると思うが、最初の日曜日は約80球程度。本番までに合計3回、3回目でようやく120球は打てた。

自分の年齢も考えて、少しずつ慣らしていった。昔、200球、300球練習していた頃とは訳が違う。

私にしては入念な準備をしてゴルフの本番を迎えた。

 

何事もブランクが空いた時はそうだが、体力面もさることながら、最初の9H、特に最初の数ホールは全くゴルフに関しての感覚が初心者そのもの。気持ちは落ち着かないし、好きなゴルフを楽しんでいる感じではなかった。

 

まあ、そもそもゴルフは1か月もプレイしないと最初の2、3ホールは感覚がつかめないものであるが、2年というブランクの大きさを痛感した。

そして、無事にプレイも終わり、予想通りの筋肉痛も味わった。

 

私の場合は、たかがゴルフだが、何事においても思わぬことで、習慣化されていたものが途切れることはある。それは健康を害した時が一番起こりやすいと思うが、いずれにしてもブランクからの復活には学びが多い。

 

スポーツであれば、若いときは完全に復活はすると思えるが、私ぐらいの年齢になると、すんなり、若い時と同じようには出来ない。そうすると今の自分の体力やフィジカル的な部分と相談しながら、あらたなゴルフスタイルを模索しないといけない。

 

考えてみたら、だんだんと年齢を重ねる中で、他にもこういうことは沢山ある。

スポーツに限らない。音楽をするにしてもそうだろう。仕事はどうかと言えば、肉体的要素が強い仕事は特にそうだろう。

私の場合は、海外出張のブランクがすでに1年半だ。海外を飛び回るのにも体力気力が必要だ。

 

海外も、すでに私は昔のようには出来ないと思っている。だからこそ、周囲の環境や自分の状況と相談しながら、海外出張ブランクもオンライン活用とのバランスで、少しずつ解消できればと思っている。

 

以上

情報は人間が処理してはいけない時代になるかも

情報過多は今や日常会話かもしれない。

 

生活者はともかく、ビジネスをしていると何らかで情報を扱うのが今や当たり前になった。

 

情報はどこかで誰かが作り出す。

昔は、情報の発信源となる人やメディアは限られていたが、今はその発信源が大衆化したし、メディアも多様になって来た。

 

そして世界がつながりだした。

一昔前に比べると、すでに世界はつながったとも言えるが、まだまだ、情報が行き届かない人たちがいたり、情報統制の中で生活していたりする人も多い。

 

日本は一見、情報発信や情報の入手に関して自由な国の印象があるが、正直、情報をコントロールしている人達はいるし、秘密情報も膨大にある。

 

秘密情報には国家機密や企業の戦略的な機密、技術特許にあたるような機密、プイラバシーに関わる機密など多岐に渡る。こういう情報に関しては、どんな時代で特別な情報として扱われるのは人間の宿命かも知れない。

 

そういう意味で考えると、情報には機密情報と公開情報2種類がある。

 

今、DXブームである。この本質的な言葉の意味は、私にはピンとこないが、今回はそれはわきに置いておいて、このDXブームの先には何があるのかを考えてみようと思う。

 

ITが社会や企業に浸透するということは、ますます、情報の流通量が増えるということだ。

もう古い話だが、この20年の情報量の増大に対して、人間の情報処理の能力は、それほど向上していない。総務省の情報センサスのレポートが話題になったのはもう随分前のことだ。

 

 少なくともあれからすでに10年は経った。同様の調査は存在するかもしれないが、今どうなっているだろうか?間違いなく、情報量は加速度的に増大している。人間のスキルはどうかといえば、あまり変わらないと思う。

ただ、劇的に増大していることがある。それは、スマホなどの普及で、人間が情報に触れる機会は増大している。

 

 

私にしても、仕事ということもあるが、合間でスマホで様々な情報を見ている。正確には、見ているにも至らない時もある。ただ、眺めているだけのこともある。

 

例えば、社内のメンバーとのチャット、友人知人達とのメッセージ。インターネットニュース、SNSなど、なにかと使っている、以前より見ている時間が増えた。

正直、見ていないと落ち着かない症候群ともいえる。世の中、私と似たような人は多いのではないか。だからこそ、スマホを断つ。ということも真剣に考えたりする。

 

次は子供たちで目線で考えてみる。

私の子供の時は、情報と言えば、近所の噂話か、自然の中で感じる何か。これぐらいだった。そこに、友だちとの遊びの中での会話。

今と比べたら情報には全く触れていなかったと言える。一方、感性のセンサーは磨かれていたと思う。

今後のことを予想すると、情報が世の中には溢れ続けるのは間違いない。

平穏に暮らすのに一番単純な方法は、情報から離れることである。

 

しかし、すでに人類は情報過多の社会の中で、生きていく選択をしている。

少なくとも経済活動はそうだ。人間の大半が働く時代。簡単に情報を断つことはできない。

私は、近い将来をこんな風に予想する。

 

AI君の役割も少しはあるとは思うが、情報を取捨選択してくれる自分用の何かの装置が必要だと思う。それは、スマホではない。ロボットでもない。その何かがそろそろ生まれる時期に来ているのではと思う。

 

そうしないと、自分達が生み出した大量の情報の中で、人間は疲弊どころか、退化してしまうような気がする。

 

以上

ファーストペンギンにはレールは見えないのかも

最近、私の周辺でホットなキーワードがある。

それは、ファーストペンギンである。

 

まずは、Weblio辞書から引用してみる。

「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛び込む1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めてて「ファーストペンギン」と呼びます。

 

 

私なりの解釈は、誰よりも先に危険を顧みず、行動する人のことをこう表現すると考える。

事業創造や起業という活動で先頭バッターとして挑戦するのか二番手以降でチャンスを狙うのか。

 

このあたりを考えるだけで、ビジネスの戦略も変わってくるし、それに取り組む人たちのマインドや心理も奥が深いものがある。

 

もともと、ファーストペンギンが私の周辺で話題になったのは色々と長年の経緯があるが、シンプルに言うと、近藤さんは、ファーストペンギンですよね。と知り合いに言われたことが大きなきっかけだった。

 

私の全体感には、そういう印象があるようだが、SNSである方が私のベトナムでの活動を評して言われたことだと理解している。

 

私なりに単純に書くと、まだ、ほとんど注目もされていなかった2000年よりも以前のベトナムでビジネス活動を始めたことが、ファーストペンギンという印象に重なっているのだろうと思う。

 

こんなきっかけから、波長が合うと話の発展するのは早いもので、海外進出事業を手掛けるエイグローブ社の創業者、小粥おさ美さんファーストペンギンを探せというBナビオンの番組が始まった。先日、1回目の収録を終えたところで、改めてファーストペンギンを考えてみようという今の心境である。

 

 

利己的な遺伝子はご存じたろうか?

先日も、ブログのテーマとして取り上げだが、人間は生物の一種であり、現代科学では遺伝子レベルで解明が進んできている中で、生物の遺伝子は皆、利己的であるという考えだ。

 

そういう視点でファーストペンギンをとらえると、この遺伝子は伝承されない確率が高い。なぜならば、勇気はあるかもしれない(あるいは無謀ともいえる)が、生存確率は低い。 

 

やはり、ファーストペンギンの行動の結果を見て、自分の行動を決める方が、生存確率は高い。

つまり遺伝子は伝承される確率が高いのである。

 

まあ、これは私の勝手なファーストペンギンの解釈なので、流していただくとして、私なりのファーストペンギンの特性を幾つか挙げてみることにする。

 

私が、人から見たらそう映るのはなぜかの視点で考えてみる。自分の性分と併せて考えてみる。

 

一つは、人がすることと同じことをしたくない。これが私の根底にはある。これはビジネスだけとは限らない。私生活でもそういうところがある。

 

時々思い出すのだが、母親が、昇は難しいと。褒めても怒っても、怒っていると。今振り返ってみれば、別に怒っていたわけでもない。これぐらいで褒められたくないという思いである。怒られるの嫌だから、次は絶対に怒られないようにする。

 

こんな単純な意識だったと思うし、今でも本質は変わらない。要するに、ほっておいて欲しい。人にかまわれるのが好きではないのだ。

 

だから、人についていくのは好きでないし、自分しかできないことを選択するのだと思う。

もう一つは、レールの上に乗っかりたくないという冒険心や好奇心だと思う。

イメージで言えば、未開のジャングルの探検隊の先頭でありたいと思う。

 

こんなことが重なって、ファーストペンギンのように見えてしまうのだと今は自己分析している。

 

最後に、ファーストペンギンは勇気が本当にあるのだろうか?

20年近く前の拙著“仕事は自分で創れ”に書いた、フグの話を思い出した。

 

フグは毒がある。しかし、美味しく食べられる。何人も何人もトライして犠牲になりながら、毒がどこにあるかを解明したという話だが、本当に一人ずつが誰かにいつか安全にフグを食べてもらいたいからそうしたいのだろうか?

 

命の危険があると本当に分かっていたのだろうか?もし分かっていたなら、私なら絶対にチャレンジしない。

このフグを食べることにチャレンジした人たちは、ファーストペンギンなのだろうか?

 

しばらく考えてみようと持っている。小粥おさ美さんの“ファーストペンキンを探せ”が回を重ねるごとに、私のこの疑問がクリアーになるかもしれない。そんな楽しみな番組でもある。

 

以上