近藤昇の「仕事は自分で創れ!」

「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

ブレワライブを100回体験して見つけたこと

昨日、私が1年半前から行ってきた、

ライブ配信(ブレワ)の100回目を達成した。

 

初回は、2019年11月。ベトナムハノイからの配信がスタートだった。

いわゆるオンライン配信なので、ツールは何でもよかった。最初は、国産メーカーのオンライツールから始めた。ほどなく、ZOOMを使うようになった。

 

1回の長さは約30分と決めた。

私は仕事柄、経営者セミナーなどは、25年前ぐらいから行っているので、講演などはそれなりに経験があった。今回のライブを始めるまでに1000回は越えていた。

 

また、ベトナムなどの新興国とつないでのオンラインセミナーはそれなりにこなしていた。

例えば、ベトナムでのカンファランスの様子をオンライン中継して、日本の人も視聴する。アフリカのルワンダからも何回かオンラインセミナーをした。通信インフラを試す目的も兼ねた。

 

だからオンラインのライブセミナーには慣れていた。ただそれは、基本的には、小さな画面であっても視聴されている方々の顔は見れる状態でのセミナーだった。

 

私がこの一年半行ってきたブレワは視聴者の顔は全く見ず、パソコンかスマホを見ながらしゃべるスタイルだ。

つまり、どこかの会場に集まった人に遠隔で話している訳ではない。コロナ禍が発生して、このスタイルも今や当たり前になったが、まだ、私が始めた一年前は世間では珍しかった。

 

私は毎月海外に行っていたので、当初のライブの目的は、新興国から現地の生の感覚を如何に伝えるかが狙いだった。

 

少なくともコロナ禍前までは、順調だった。ベトナムを皮切りにカンボジアカタールルワンダと進んだ。ところが、2020年4月からは、海外に出られなくなった。正確に言うと、無理しては出なくなった。

 

このあたりから、ブレワの目的を切り替えた。ちょうど1年前の今頃だった。

 

海外にも行けない中、中断も考えたが、ライブを自分がとことん体験すれば、発見もあると思って取り組みを変えてみた。

とにかく、その時々思っていること、将来手掛けたいこと、その時点で学んだ事などなど。平均的に1週間に1回以上のペースで、概ね早朝にライブした。

 

結構準備も大変で、途中で止めようと思ったこともある。それがいつの頃から100回を目指すことが目標になった。

 

もちろん、単に話するだけなら、毎日話するのもありだが、流石にそこまで話する新鮮なネタはない。並行してコロナ禍の期間は、オンラインで毎日のように経営者セミナーなどでも話していた。

 

 

だから、1日にブレワを入れて合計4回話する日もあり、ちょっとやり過ぎたこともある。

 

100回目を昨日配信した時の私の話の内容は以下である。

 

  ・なぜ、ライブの配信を始めたか?

  ・聴き手が誰か分からない中で話すること

  ・記録に残すということ

  ・ライブでやる緊張感と責任

  ・やっぱり、正直、書く方が難しい

  ・臨場感をどう伝えるか?

  ・これからの予定について

 

もし、興味がある方はこちらをご覧いただければと思う。

 

 

この時の話を要約すると、

何はともあれ“記録に残した”という充実感はとてもある。

 

合計時間で約50時間であるから、それなりのボリュームだ。

自分自身でも将来聞きなおしてみようとは思うが、今は流石にそんな時間はない。将来の楽しみが出来たと思っている。もちろん、デジタルコンテンツなので、加工すれば色々と使えるとも思っている。

 

ライブで話する際は、言い間違いや誤解を招くようなことがないよう、また、問題発言などはしないよう気をつける。いわゆるオフレコでもなく録画でもない中で話を重ねると、話する事、表現することの感覚が研ぎ澄まされてくる。

 

しっかりと話するために下調べをしたことも何度もある。

一方で、1年ほど前からは、この毎日ブログを始めたのであるが、書くのは大変だ。やっぱり、話するほうが楽だ。

この先どうするかは、迷ってもいるし考えてもいる最中だが、ライブの新企画を色々と試してみようとも思っている。

 

 

やはり、一度始めたライブは止めれない。

何らかの形で、ライブ配信は続けようと思う。出来る事なら、英語を訓練して、英語のライブもいつか始めてみたいと思っている。

 

以上

 

会社になぜオフィスが必要かを改めて考えてみる

会社経営をしている中で、オフィスをどうするか?と言う課題は結構悩ましい。

 

私は、28年前、会社を立ち上げたときは、自宅兼事務所だった。自宅の私の部屋をオフィスとした。その時流行っていたSOHOワーカーを標榜したのである。今で言えば、ワーケーションということになる。

 

創業して、ベビー用品のリサイクル業が最初のビジネスだった。個人の顧客を獲得するために、信用を意識した。そして、サービスオフィスを使うことにした。秘書代行サービスとも言う。

 

月数万円支払えば、住所も貸してくれるし電話対応もしてもらえる。これも重宝した。今では、世界中で当たり前のサービスとして定着した。

 

もともと、オフィスを借りないスタイルを指向していたが、阪神大震災を転機に、オフィスを借りた。

正直、オフィスを借りると会社が立派になったという錯覚に陥る。

もちろん、初めてオフィスを借りたときはそうは思っていない。数名足らずの社員が同じ場所で仕事したり打合せしたりすることはとても新鮮だった。

 

その後、社員の増加を見越してオフィスを変わっていくことになる。日本では神戸で始めて、大阪支店や名古屋支店、福岡支店なども展開した。まずはオフィスを借りることからスタートした。その後、東京にも進出した。こちらもまずはオフィスを借りた。

 

30年近く活動している中では、引っ越しの回数は軽く二けたを越えている。ベトナムに20年前に進出した時もオフィスを借りることからスタートした。ベトナムでは、ホーチミンハノイ、ダナン、カントー、ゲアンと展開する中でオフィスを借りた。また、引っ越しも何度もした。

 

ざっと振り返るだけで、どう考えても無駄な投資、過剰なオフィスであったと反省を込めて断言できる。

 

 

今は流石に思っていないが、少なくとも会社を創業した時は、自分自身もオフィスが会社の活動には必要だと長年思いこんでしまっていた。もともと、SOHOワーカーで進もうと思っていたにも関わらず、オフィスを借りて、世間の常識に飲み込まれた。

 

少なくともその当時は、ある程度のお客様と取引するには、オフィスがないと信用がもらえなかったのも事実だ。法人の顧客は特にそうだ。

お客様にも、オフィスに来ていただいて初めて、信用を獲得することが出来た。

そのためのだけの訪問も実際に沢山あったと思う。考えてみればオフィスはちゃんとしたビジネスしている証でもあった。

 

確かに、オフィスを借りる時に家主さんはなんらかで借り手を信用できるかどうかを確認している。社長の保証も必要だ。

またオフィスがあると、簡単には消えたりできない。こういう世界は詐欺まがいの話ではあるが・・・。

 

その後時代は大きく変わっていく。

今、改めて考えて、オフィスを構えていることは信用なのか?ということになる。

コロナ禍ではそういう意識は減っているが、終息した時に果たしてどうなるか?

 

実際に、仕事の現場レベルでは、オフィスが何のために必要だったかは、オンライン体験が増えてくることによって改めて明確になっている。

 

オンラインばかりで顔を合わせていたのでは、どうも人間関係の良好な発展は鈍化するし、阻害されているように思う。

であれば、最低でも1週間に一回ぐらいは、一堂に会す必要があるかもしれない。

 

でも、それなら常時のオフィスはいらない。極端な話、ホテルのロビーやカフェでも事足りるかもしれない。

それこそ、数社で共有のオフィスとすればよい。

あと、仕事に必要な資料などを置いておく場所が必要ではある。

確かに、いくらITが進化したとしても、全てパソコンやオンラインで仕事はできない。理由は簡単だ。人間が疲れてしまうから。

 

このまま、無節操にIT化が進むと、人間が疲れるためのIT化が進むことにもなる。

だから紙で仕事することも大切だ。そういうものを保管する場所としてのオフィスも必要だろう。

 

また、特別な仕事、例えば、機密性が超高い仕事は、秘密の高い部屋でしないといけない。

 

一方、今までのような管理業務などは、在宅やテレワークで出来る可能性大だ。すでに、どんどん進行しているし、ソフトウェアロボットも実用化され請求書発行なども電子化される。オフィスでする必要のない仕事である。

 

もちろん、従来通りのオフィスにこだわる会社も沢山あると思うが、私は違う。

 

そもそも、オフィスを持たない経営を指向して会社を立ち上げた。

巡り巡って、無駄なオフィスのコストも払い続けた苦い経験の中、そろそろ、先進的なオフィスの活用モデルを構築しようと思う。

 

以上

 

ユーザー企業がソフトウェアサービスを出来る時代の到来

IT業界にも、ソフトウェアのオーダーメードという考え方がある。

いや、あったという方が、今では正しいかもしれない。

話は変わるが、私達が着るスーツの世界を考えてみる。今、流行りなのがオーダーメードのスーツである。昔、オーダーメードのスーツは高かった。だから、既製品のスーツが良く売れた時代が長かった。

 

このスーツの歴史を簡単にまとめるとこういう感じだ。

昔はオーダーメードでスーツを作っていた。その後、リーズナブルな既製品のスーツが一気に売れるようになった。そして、またまた、オーダーメードのブームが来たが、今度は、格安のオーダーメードである。既製品の値段とそん色ないオーダーメードスーツである。

 

実は、IT業界の中でも、ソフトウェア業界は、この流れと同じである。

 

会社で使うソフトウェアはオーダーメードで作る時代が長かった。それぞれの会社の業種や規模、仕事のやり方に合わせて、ソフトウェアをITサービス業者に作ってもらう。もちろん、それなりの企業であれば、情報システム室で自前で作ることもある。

 

自前でオーダーメードであれば、大抵の場合、今やっている業務がそのままIT化される。

仕事が効率化され省力化されるメリットは幾つもあるが、デメリットもある。本来の標準化や合理化は進まない。

 

こういう時代が長く続いた後で、ソフトウェアパッケージなる商品が登場する。スーツで言えば、既製品である。出来ているものを買って使うということだ。

 

当然、値段はオーダーメードに比べて安い。また、世の中の経営や業界の標準が手に入る。場合によって、使う会社はダイエットが必要かもしれない。標準体型を求められる。

 

ソフトウェアも徐々に様々な体型のバリエーションに合うように、幾つかのオプション機能が付くようになってきた。これが30年前から10年前ぐらいまでのソフトウェアの主流の使い方であった。

 

今はどういう時代かと言うと、オーダーメードも既製品も存在するが、クラウドサービスの時代だ。例えば営業系のSalesForceなどの管理ソフトが有名だが、これは米国で生まれた。

 

これを日本の企業が使っている訳である。考えてみたら、国際的な標準の仕組みを日本も使っていることになる。

今、日本の企業も海外生まれのクラウドサービスを沢山使っている。これはこれで、企業経営としてもメリットもある。

 

一方で失いかけているものもある。

日本独自のモノづくり力に根差した仕事のやり方や、ハイサービスを実現するための人的なきめ細かいしくみは欠落していく。

 

まして、今は、中小企業とも言えどもITに適応が不可欠な時代である。

本当を言えば、中小企業のIT化は使い分けるのがベストである。

 

営業管理や業務管理のような標準化できることに関しては、海外のクラウドサービスでも国産でもどちらでもよい。ただし、情報セキュリティについては、厳密にチェックが必要であるが・・・。

 

一方で中小企業独自のしくみ、それが日本の強みに直結するような事業モデルや業務内容については、独自のソフトウェアが必要な時代だ。なぜなら、全て標準化できるものではない。オリジナルであればあるほど。

 

今、IT活用で注目するユーザー企業が増えてきた。

それは、独自の自社ビジネスのIT化をオーダーメードで完成させたところの存在感と役割が新たに生まれたと言える。

 

今、クラウドサービス全盛期だ。日本の中小企業のノウハウが凝縮された自社仕様のソフトウェアをパッケージ化する、更にはソフトウェアとしてクラウドサービス化をすることもできる。

 

これを同業者の中小企業に提供すると、売り手も買い手もがウィンウィンの関係になる。

 

そして近い将来、こういう日本の独自のノウハウが凝縮れたオールジャパンのソフトアェアサービスとして海を渡って新興国に貢献する。日本の中小企業のプレゼンスが新興国で際立つ。こういうことを実現しようと考えている。

 

以上

 

人生100年時代が当たり前になった感覚はあるが・・・

“LIFE SHIFT(ライフ・シフト)”という衝撃的な本が発売されてすでに4年が過ぎた。

 

今や、日本の高齢化社会や日本の未来を考える時に、人生100年時代というキーワードが当たり前になった。

 

最近では、LIFESPAN(ライフスパンもなかなか面白かった。

 

私は、2015年12月に、

日本の高齢化社会の中で、何か一つでも新しい活動や仕組みを生み出そうと考えて、

“もし波平が77歳だったら”を上梓した。おかげさまで、この本をきっかけに、シニアの方のつながりは言うまでもなく、高齢化社会の課題解決やシニアの生きがい支援に携わる方々など多くの新しい出会いがあった。

 

もともと、28年前の創業時に、イメージした社会貢献の中の一つとして、高齢化問題に取り組むことを掲げた。創業間もない頃のパンフレツトにも印刷した。その頃普及が始まっていたインターネットを活用した独自サービスのシニアジョブネットも運用していた。名前のごとく、シニアの方に仕事を紹介、オンラインでシニアの方が企業に対してサポートするサービスを目指していた。

訳があって中止したが、この活動の延長に今がある。

 

私が、高齢化社会の問題解決をイメージしたのが30代前半。その私も今は58歳でもうすぐ還暦と言われる年になる。

 

拙著“もし波平が77歳だったら”に照らして言うと、今の60歳は昔で言うと42歳ぐらいだ。実際、この本を著した時の私の年齢が54歳。これは、77歳の7掛けである。

つまり、昔の54歳が、今の77歳だと仮定した本のタイトルだった。

 

あれからたった数年で人生100年が当たり前の時代になった。

私の身近でも70代後半、80代の様々な方とお付き合いがある。皆さん、本当にお元気だ。流石に、90代の方との仕事上の交流はないが、いまや70代は個人差によるのは言うまでもないが、現役感バリバリの方は本当に多い。

 

一方で、健康寿命は男性の場合で約71歳と言われている。平均寿命と9年のギャップがある。この事実は知っている人は知っているが、まだ、一般的には知られていない。

 

当然、医療や介護の世界の大きな負担にもなっている。ご本人も大変だし、周りも大変だ。だからこそ、人生100年時代のブームと呼応するように、健康生活や健康経営がクローズアップされている。

これは自然の流れとも言える。特に、経済産業省が健全な高齢化社会の実現に向けて、健康経営への取り組みを企業に推奨している。

 

多くのシニア予備軍が働く企業において、自社の健康は言うまでもなく、社員が会社を卒業してからも健康であることに対して、企業が責任を持つ時代の到来とも言える。これは社会貢献の取り組み一つであるのは間違いない。

 

元気で100歳までバリバリにアクティブに活動人が増えることはとても望ましいことであるが、一方では、そうでない人も増大する予想で、未解決の問題が山積している。

 

高齢化社会の問題認識は、一言でいえば、知るか知らないかで極端に考え方が変わる。

 

今の日本人が取り組まないといけないことは、今の日本の実情をしっかり学ぶことである。

身内が要介護になって初めて知る人も多い。ニュースで気になることもあるだろう。個人個人で意識は高まりつつある。

 

そういう意味で、冒頭に紹介したような本も役割としては大きい。一方で、負の情報はなかなか表には出てこない。国や行政に任せっきりでもいけない。やはり、基本は自助があっての互助や共助であると私は考える。新興国などでは頼る国も脆弱だ。自助の精神は強くなる。

 

“もし波平が77歳だったら”を出版以来、ある程度は計画的に活動を拡げてきたつもりだ。高齢化社会を学ぶための高齢社会検定の普及にも力を入れている。また、もう何十回とシニアに関するセミナーやイベントも行ってきた。

 

 

この週末は、”人生二毛作社会を創る”を書かれた南あわじ市の守本憲弘市長に御参加いただき、ハピキャリ人生100年フェスタと称して、セミナーやフリートークをオンラインで実施する。日本の高齢化社会を地方の目線で考えたいと思う。

 

 

多くの人が強い想いをもって高齢化社会の課題解決に取り組んでいる。こういう人と積極的につながっていき、日本の取り組みや事例が世界のお手本となるように活動をつづけていこうと思っている。

 

以上

 

人間にとって最大の発明は何なのだろうか?

人間は、道具を使うことで、進化してきた動物である。

道具がなければ、人間の生来の能力では生き延びる事すらできなかったと言われている。

 

最近は加速度的に、人類の進化に関する研究が進んでいる。おかげさまで、私たちはとてもクリアーに人類の進化を学ぶことが出来る。進化と道具は密接な関係であることは、人類の進化に関する本や情報にも頻繁に登場する。今では、道具はツールと言ったほうがピンとくるかもしれない。

 

先日もブログに書いたが、私は神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる巨大な吊り橋を通行したり下から眺めたりする度に、人類について想いを馳せる。

 

もちろん、景観としても抜群ではあるが、こういう景観すら創った訳で、人間のすることには改めて感心するし感動でもある。

 

こんな巨大な建造物もツールの進化によって実現している。様々な建機やシールドマシンが活躍した訳である。全て人間が開発したものだ。

とりわけ、日本の土木技術は世界一のレベルである。

 

 

 

色々と考えだしたらキリが無いが、ツールひとつずつを発明して進化させて来た人間の歴史には、私は興味が尽きることはない。今も日々、世界のどこかで研究開発は続く。大学や企業にもすでに沢山の新ネタがあるだろう。

 

特に最近の話題の中では、そろそろ車が空を飛びそうなことが気になる。ただ、私は個人的に、これはやりすぎだと思っている。

 

人類は生き延びるために必要だったツールを進化させてきた。それに加えて、単に人間が持っている好奇心、探求心の結果生まれるツールも沢山ある。

 

現代は、後者の方がはるかに多いと思う。例えば火星旅行。いますぐ人類のために必要なことではない。

 

もちろん、太陽の寿命と言われている45億年後が近づいてきたら、遥か彼方の地球と似た惑星への移住も必要になるだろう。それに向かって動き出しているともとれるが、それにしても、その時まではあまりにも膨大な時間がある。

 

こんなことを想像するだけでも楽しい部分もあるが、不思議な気持ちになる。

冒頭で書いたが、昔の人類の生活ぶりやツールの使い方が、明るみになればなるほど、人間の進化に必要なのは時間なのだとつくづく思う。それも途方もない時間の長さである。

 

どうもビジネス視点で考えると、世界でも有名なカイゼンですらとても短期だ。

 

古代からのツールの進化を見ていると、明らかに人間は、何万年もの単位で常に改良・改善をし続けていると言える。しかしその改善は、一人の人間が生きている間に気づける変化でもなかったりする。

どうして、こういうことを何世代も越えて人間ができるのかも不思議だ。

 

何度考えても、人間とツールは一体だ。

ツールとは道具、機械などを総称しての話だが、人間はツールと一体で生きている訳である。

 

これを人間の拡張機能と表現する人もいる。

車、飛行機などの交通手段もそうだし、先ほどの建設機械もそうだ。都市もそれに含む人もいる。

 

ハマり過ぎなのは問題だが、人間は今スマホという体の拡張期機能を持っている。

良いところだけ取り出すと、世界の人といつでもコミュニケーションができる。動画をいつでも観ることが出来る。歌も聴ける。

これ縄文時代の人が手にしたら、どんな反応をするだろうか?

 

一つずつのツールの進化を追っていけば、興味が永遠に尽きることがない。

それだけ長い歴史の中で、数えきれない人がつながって、ツールを進化させてきた。

 

最近、あらためて凄いなと思うツールがある。

それは、写真だ。私は人類最大の発明と言っても過言ではないと思う。

写真は記録のツールである。最近は動画も手軽なので、合わせて考えても良い。古い書籍の中に随分前の写真を見かけたりする。こういう記録が残っていること自体、すごいことだと思う。

 

もし写真を誰かが発明していなかったら、人類の進化はどうなっていたのだろうか?

人間の営みや風景や出来事を記録できる。もちろん、音声もそうだが、記録することを発明し進化させてきた人類のこれからは、大きなターニングポイントにある。

 

昨年、今を記録の世紀と私は名付けた。

この点はまた、別の機会に書くが、写真で記録できる意味と価値は大きい。

 

一体どういう風に写真が発明されたのか?

写真に関する科学技術の進化はどうなるか?

時間を見つけて、このあたりを探求しようと思っている。

 

以上

 

何気によく使うセンスって何だろうか?

センスとは?

いきなり聞かれても、なかなか説明が難しい言葉の一つである。

これほど曖昧で幅広く使われることはないのではなかろうか?

 

ちなみに、デジタル大辞泉では、次のような説明である。

 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」

 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

 

“センスありますね”この一言は、なかなか人に言えるものではない。

なぜかと言うと、センスありますね。という前提には、自分もセンスある前提でないと、なかなか言えない。少なくとも、誰かにそういわれたことがなかったとしても、自分ではセンスある。と思っていないと、人にセンスあるよね。とは言えない。

 

最近だったら、よくあるのが、余りにも大衆化された写真だろう。

これぐらい気軽に撮れる時代が来るとは20年前からすると考えられないが、今は、誰でも写真が手軽に撮れる。スマホや携帯電話を使えばの話であるが。

 

写真の良い出来栄えのものは、友人に送ったりSNSに投稿したりする人も多い。私もそうしている。そうすると、この写真はセンスいいね。と反応が返ってくることがある。

もちろん、私も誰かの写真を見て、センスあるね。と思う事もある。

 

ここで言う、センスとは何かである。

スポーツでもよく使われる。プロがプロを評して使うこともあれば、アマチュアの若手選手を見てセンスあると使うこともある。

こういう時のセンスというのは才能あるよね。というニュアンスであることは直ぐにわかる。

 

では、ファッションはどうだろうか?

もちろん、ファッションショーにでくるような服を着ていれば、流石にセンスあるよね。と言われそうな気がするが、一般人であれば、服のセンスになかなか言及は出来ない。

 

私は、誰かに服のセンスあるよね。と使ったことは人生で一回もないと思う。

理由は簡単で、私は、ファッションのセンスがあると思っていないからである。

言い訳がましく書くと、無頓着と言うわけではないが、そういう意識がないからである。

 

こんな風に考えていくと、そもそも、センスがあるないは、人が人に対して、主観的にイメージするものである。自分で自分の事をセンスあるよね。という言い方も無くはないが、これは一般的な使い方とは違う。

 

私なりの考えは、自分が興味や関心がないことに関して、そもそも、人を評価したり感想を述べることはない。分からないのであるから、本来はコメントしようがない。当然、センスあるという、ちょっとスマートな言い方はできない。

 

結局、一般的なケースでは、自分が関心があり、かつある程度はその分野に精通していることが前提で、自分が持っている何かと比べて、それを基準として人にセンスがあるかないかを考える。そして、たまにそれを様々な目的でその相手に伝えることがある。

 

私も驚いたり、感心したりした時も、センスという表現を使っているような気もする。

 

仕事場で考えたときに、センスあるね。と一番使いそうな場面は、企画や提案だろう。あとは、デザインということもある。プレゼン資料の色使いでもある。

しかし、これにしても、例えば、私の好みやどう感じるかの問題だ。

仕事でセンスあるね。と言われて嫌な人はいないと思う。

 

しかし、何度考えてもあまりにも曖昧な言葉だと思う。

結局は、センスは相対的な尺度であり、絶対的なものではない。だから、何となく会話のトッピングとして使うのが良いのかもしれない。

 

以上

オールジャパンで多文化共生社会の創造が必要な現代

日本の特徴と言えば、島国であり建国以来2000年を越える歴史があると言われている。

世界でも稀有な国である。

 

単一民族ではないことはすでに明らかになっているが、それでもこれだけ長い間、島国として栄えてきた国だからこそ、外国人受け入れの抵抗感は半端ないのかもしれない。こんなことを最近更に強く思うようになっている。

 

この前、多文化共生というテーマを少し深く考える機会があった。

ある自治体のメディアコンテンツ作成の公募に応募した。結果としては、採択されなかったが、多文化共生について、外国人との共生について、色々と得るものがあった。

 

言葉としてはもちろん、知っているし、仕事柄も多文化共生という考え方というよりも先に、若い頃から体験してきた実感はある。

 

私は20代からマレーシア人、中国人と一緒に働いてきた。今ではベトナム人、ネパール人、ルワンダ人、ケニア人などが社員にいて、色々とコミュニケーションや言葉の違いなどにも苦労しながらも、あれこれと仕事をこなしている。

 

日本の地方自治体がとても積極的に多文化共生にも取り組んでいることを改めて知り、思うことがある。

特に、外国人が多く住んでいる地域ほど、積極的だ。考えてみれば当たり前のことであるが、工業地帯には随分前から技能研修生が数多く働いている。また、第一次産業が盛んな地方では、農業や漁業、食品加工工場などでも働いている。

 

留学生として日本に来る外国人も急増している。

ネットで調べてもすぐ出てくるが、留学生も技能研修生も、日本の近隣の新興国出身者が圧倒している。

 

すでに中国は先進国かもしれないが、日本に来る中国人の目線で考えれば、まだ新興国と言えると思う。

 

ここ数十年で、労働力不足を補うために、国策とし一気に外国人受け入れを推進している。留学生受け入れ30万人計画はすでに達成したが、実態は、これもかなりの人がアルバイトという労働力にもなっている。

 

このあたりが、表から見る建前の部分と実態との乖離である。今でも、日本で働くために留学する外国人の数は相当多い。

 

いずれにしても、理由は何であれ、今後も日本には外国人は増える一方である。

移民国家が話題になるほど、この流れは止まらない。

こんな事情である日本が、遅ればせながら、ようやく、多文化共生を学び考え、外国人と共生しましょう。という流れだと思うが、国内だけで多文化共生を進めたのでは、不十分だと私は考えている。

 

一つの感覚は、そもそも、日本以外のほとんどの国は、多文化共生云々の前に、沢山の国籍の人が混在して社会が成り立っている。大陸国はほとんどがそうだ。

 

 

もう一つは、やはり、日本人が彼らのことを知らなさすぎるのが大きな問題である。

日本に来ている外国人だけと接しても、どうしても理解が及ばなかったり、視野が狭くなる。日本国内の日本人の尺度で接してしまう。

 

何年か前に、こんなニュースが流れた。

ベトナム人が、山で誰かが飼育していたヤギを食べた。これは軽犯罪であると。

確かに、日本人の目線からしたらそうだ。しかし、ベトナムの田舎に行けば分かる。ヤギは主食だし、野生のヤギも沢山いる。

 

もちろん、日本に来ているからには、日本の法律は守らないといけない。一方で、生活習慣などは完全に合わせる必要がないし出来ない。

 

本当の意味で、生活を共にすることが出来れば、多文化共生は学ばなくても自然に身につくことだと思う。それには相当時間がかかる。

やはり、新興国での生活を体験している日本人の参画が必要と考えている。

 

多文化共生に関する取り組みに積極的にチャレンジしようと思う。

 

以上